なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(288)復刻版

 私の裁判、最高裁上告を審理してくれる法廷が決まりました。最高裁第二法廷です。過日お願いししま

した「要請署名」をよろしくお願いいたします。署名した用紙は、支援会事務局(事務局長久保博夫方)

へ送ってくださいますようにお願いいたします。

 「黙想と祈りの夕べ通信(288)」復刻版を掲載します。


        黙想と祈りの夕べ通信(288[-27]2005・4.3発行)復刻版


 今週の月曜日から火曜日にかけてある研修会に参加しました。場所は箱根の千條(ちすじ)旅館でし

た。この研修会のテーマは「〈国家〉を問う」です。聖書からはTさんが講演しました。久しぶりにTぶ

しを聞きました。Tさんは緑内障の手術を何回がされて、今は論文を書くことは放棄しているということ

で、ご自分の問題意識を語っていました。この研修会で私が話を聞きたかったのは、政治哲学を専門にし

ている若い研究者である萱野稔人さんの話です。前以ていただいた萱野さんの論文に、月曜日朝早く箱根

に向かう途中目を通していました。「国家に対する抵抗と憲法」(『インパクション04年12月号』)、

「国家を思考するための理論的基礎」(『現代思想04年8月号』)の二つの論文です。特に後者の論文に

は興味を感じましたので、萱野さんの講演を楽しみにして参加しました。まだ33歳くらいの若い研究者で

すが、「近代国家と世俗化」という題の講演でした。講演ではまずヴェーバーの『職業としての政治』か

らの引用によって「国家とは何か」を定義していました。その引用は「むしろ近代国家の社会学的な定義

は、結局は、国家を含めたすべての政治団体に固有な・特殊な手段、つまり物理的暴力の行使に着目して

はじめて可能となる」です。この物理的暴力の正当化が近代国家であるというのです。近代国家の成立に

よって暴力が国家によって独占され、国家以外の暴力は犯罪として取り締まられるようになったと言うの

です。詳しくここでの述べるわけにはいきませんが、ある種のシステムとして国家を見定めるところに、

萱野さんの国家論があるように思われました。特に暴力との関わりでとらえられる国家論を興味深く伺い

ました。

 上記の私お発言に続いて、一人の方からの発言がありました。国会前に座り込みに行ったが、今日は国

鉄解雇反対の陳情団が国会前に来ていたので、10数名の警官で物々しかった。私も2、3回警官から職

務質問を受けた。警官は聞いたことをすぐマイクで報告していた。議員バッチをつけている人が通ると警

官は丁寧な態度を取るが、私たちには大変横柄な態度である。特に私のような女性で、ある程度年齢を重

ねている者とは違って、若い人が座り込みの道具を出したりすると、厳しい職務質問があり、若い人は恐

いくらいだと言う。警官は何か自己表現しようとする人を高圧的に抑えつける感じがする。反面道具を片

付けて帰ろうとする時など、兼官の方からご苦労様ですと言う人もいる。一体国は何を守ろうとしている

のか疑問を感じる。辺野古にこの前行った時に、若いカップルが那覇辺野古のことを知ったからと言っ

て、座り込みに参加した。埼玉の人で国会前でも座り込みをしているので来てくださいと言ったら、今日

国会前に私を訪ねて来て、最後までいてくれた。自分で物を考える青年がポツンポツンといることに、希

望が持てると感じた。その青年が冬の間も続けていたのですかと言って、これからも一週間に一回は来ま

すと言ってくれた。一人から一人へと繋がっていき、平和を求めていく人が増えていくことを祈る。

 また別の方の発言がありました。自分が参加していたN小学校で月一回第2木曜日夜開かれていた童謡

を歌う会が5年間続き、今月その会が終わった。自分が歌を歌えると思ったのか、近所の人から地区の老

人会のカラオケ大会に歌う人が少ないので応援に行ってくれと言われて行った。そのカラオケ大会で優勝

した人が歌った「星の夜」は、讃美歌の「いつくしみふかく」と同じ曲であった。そのことを今月最後の

上記の童謡を歌う会で話したら、一緒に歌いましょうと言ってくれて歌った。星の夜と讃美歌(いつくし

みふかい)が5年間の最後の曲になり、心に残った。その会に一緒に参加していた人で、その人と会って

いると、自分が心洗われるような純粋な心の持ち主のクリスチャンの方と帰りを共にし、喜び合った。