なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(112)

          船越通信癸隠隠押 。横娃隠廓6月9日        

・2日の日曜日は礼拝後の報告の中で、この日はNさんが出席していましたので、突然でしたが、Nさんの私案である「平和センター宣言」の見直し案について、ご本人からコメントをしてもらいました。この「平和センター宣言」の見直しは今年度中にまとめたいと考えています。どうぞ皆さんからもご意見をお寄せ下さい。

・2日は第一日曜日でしたので、礼拝後昼食会がありました。この日の昼食会準備担当は私の連れ合いでした。前日の土曜日夕方京急追浜駅で彼女と待ち合わせて、彼女が鶴巻から持ってきた食材では十分ではありませんでしたので、追浜駅前のスーパーで必要な食材を購入しました。その後二人で追浜の中華店で夕食を済ませて、船越教会に向かいました。土曜日の夜、彼女は昼食会の準備をし、私は説教準備に専心しました。ということで、日曜日の昼食会は、ヨーグルト、鶏肉入りトマトベースのカレーに、鶴巻の農家の大根サラダ、それにNさんご夫妻が差し入れてくださったはんぺんがテーブルに並びました。連れ合いは10人強を想定して準備したようですが、この日は14名の出席者で、カレーのお変わりはありませんでした。みんなで楽しく食卓を囲み、懇談の時を持ちました。この日は久しぶりにMさんも礼拝に出席し、昼食会に参加しました。うれしいことです。

・昼食会後6月の役員会を行いました。この日の役員会では、それほど大きな議案はなく、午後1時半にはすべて終わりました。役員会では、平和や人権に関わるさまざまなテーマによって作られたビデオを観る会を地域の人にも開かれた形で企画しています。数か月に一度、3回程度の連続でみなさんに呼び掛けて行なうという企画です。Tさんが中心になって準備しています。こんなビデオをもどうか、という人がいらっしゃいましたら、Tさんの方へビデオを紹介下さい。一回ではなく、続けて行くことができればと考えていますで、よろしくお願い致します。

・また、役員会では、私が7月21日の日曜礼拝の説教を岩手のO教会から依頼されましたので、出張を認めていただき、7月21日の船越教会の日曜礼拝説教は藤沢ベテル伝道所のK伝道師にお願することを承認していただきました。どうぞそのことをお覚えください。

・役員会が比較的早く終わりましたので、翌日6月3日(月)にある私の第一回控訴審とその後の報告集会のための準備をしてから、午後3時ごろ船越を出て鶴巻に向かいました。連れ合いは船越の昼食会後に、私より先に船越を出ましたが、横浜で所用があり、鶴巻には午後9時過頃帰りました。私は午後5時過ぎに鶴巻に着き、一休みしてから弘法の里湯に行き、温泉に入って体を緩めて、何も考えずにぼうっと一時間ほど過ごしました。温泉は日曜日の割りには空いていました。何時もの日曜日ですと、午後7時過ぎにならないと、山歩きをした人で一杯なのですが、この日はそれほどでもなくのんびりできました。夕食は弘法の里湯の中にあるお蕎麦屋さんで湯上りの体にしみとおる生ビールを楽しみ、お蕎麦を食べてすませました。

・3日の月曜日は、午後3時から控訴審が始まりますので、午前中は持っていく物を確認して、午前11時過ぎにマンションを出て、裁判所に向かいました。途中代々木上原で昼食をとり、裁判所には午後2時少し前には到着しました。既に傍聴して下さる方が十数名いらしていて、傍聴整理券をお渡ししました。裁判が始まるまでには、98枚用意した整理券は全てなくなり、なお数名の方がいらっしゃってくださいましたが、傍聴席には入れず、ロビーで裁判が終わるまで待っていてくださいました。

・第一回控訴審と報告集会については、私のブログ「なんちゃって牧師の日記」にありますので、そちらの方をご覧ください。7月10日(水)午前10時半に控訴審判決が言い渡されることになりました。このこともお覚えくださり、また傍聴にいらしていただければ幸いです。

・ただ第一回控訴審で教団側の弁護士が、私の戒規免職処分は、未受洗者配餐という重大な教憲教規違反なので、その違法行為の重さは「セクハラの比ではない」と言いました。これには驚きました。セクハラによって傷ついている方のことを、教団側はどのように考えているのでしょうか。その方の痛みへの共感があるとすれば、こんな言い方はできないはずです。これはおそらく私の方からの控訴理由書の中に、セクハラによって裁判に訴えられその裁判に負けた教師が教団教師委員会から戒告という戒規を受けているが、その事例とくらべても、私に対する免職は重すぎるのではないかという主旨のことを書いたことに対する、教団側の反論です。反論するにしても、「セクハラの比ではない」と断定するその精神が怖いとしか言いようがありません。このことを伝え聞いて、「教団は終わっている」とおっしゃった方もいらっしゃるようです。正確には、現在の教団の執行部とその支持者は、教憲教規主義者になり下がって、聖書もイエスもイエス・キリストの福音の香りも失ってしまって、そのような人が集まっている教会は、イエス・キリストの教会としては終わっているということなのでしょうか。

・S先生が私の裁判支援会通信に、かつて赤岩栄の共産党入党問題で、当時の教団の指導者は何度も赤岩栄と面談して説得したが、同じように私に対して教団執行部側は誠実な話し合いをしてきたろうかと、書いています。そういうことは私の場合には、一度もなく、執行部側は最初から教憲教規違反ということで処分の方向で動いてきました。私が教団執行部側の立場にいたとするならば、最初から戒規ということは考えませんし、話し合いは繰り返し行なったでしょう。教師個人だけでなく、その所属教会や教区とも何度も話し合ったでしょう。そして、どうしても折り合いがつかなかった場合は、聖餐に関する全教団的な討論の場を設定して長期の議論を重ねて、そこでも折り合いがつかない場合は、残念ながらお互いの信じるところに従って別れてそれぞれの教会を設立し、宣教の働きをしていきましょうということになるでしょう。それが信仰者としての選ぶべき当たり前の道ではないでしょうか。

・4日(火)は常置委員会に出席し、6日(木)は、船越に来る前に藤沢ベテル伝道所のI牧師を訪ね、6月29日の教区教会に出す議案の賛同者欄にお名前を書いていただき、しばらく懇談をしてきました。