なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(33)

         使徒言行録による説教(33)使徒言行録9:1-9
              
・今日の使徒言行録の個所は、使徒パウロの劇的な回心の物語の前半になります。ここではラテン語の名前であるパウロではなくサウロという名前になっています。これはユダヤ人としてのパウロの名前です。使徒言行録では、13章に記されています「キプロス宣教」の時まではサウロと呼ばれていますが、それ以後はパウロと呼ぶようになります。
ですから、今日はサウロと呼ぶことにします。

・さて、回心とは、国語辞典で見ますと、「〔キリスト教で〕従来の不信の態度を改めて、信仰者としての生活に入ること」(新明解国語辞典)とあります。「従来の不信の態度を改めて」と言われていますが、回心を体験する前のサウロのキリスト教徒への態度は、不信などという生易しいものではありませんでした。むしろ弾圧者の態度そのものでした。ということは、回心前のサウロはキリスト教を全否定していたということです。

使徒言行録の中でサウロが最初に出て来ますのは、ステファノの殉教の記事です(7:58)。そこでは、「証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた」とあります。石打ちの刑で殺された最初の教会の殉教者ステファノの処刑の時に、ステファノの罪を証言して真っ先に石を投げる証人たちの背後にいて、おそらく証人たちの行動を支持していたのがサウロです。8章1節には、「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」と記されています。それだけではなく、ステファノの殉教と同時にエルサレム教会に起こった大迫害の時に、「サウロは家から家へと押し入り教会を荒し、男女を問わず引き出して牢に送っていた」(8:3)というのです。このことからも、サウロはエルサレムにおけるキリスト教迫害の中心人物の一人であったと思われます。

・このようなサウロに関する使徒言行録のこれまでの記述からしましても、サウロはキリスト教不信どころか、キリスト教の全面否定者だったということが分かります。サウロが回心して後に自ら書いたフィリピの信徒への手紙3章5節以下に、自らのことをこのように記しています。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころない者でした」(5,6節)と。ですから、サウロがキリスト教会を迫害したのは確信犯としてでした。サウロの考えによれば、キリスト教徒が信じているイエス・キリストは偽のメシアであって、神を冒涜した者でした。そのようなイエス・キリストを信じるキリスト教徒も神を冒涜する者でした。ですから、彼ら・彼女らを根絶やしにして、この地上からキリスト教の信仰をなくしてしまうことこそ、神のみ心にかなうことであると、サウロは確信していたのでした。

・ですからサウロは、エルサレムとその周辺にいたキリスト教徒を捕まえて牢にぶち込むだけでは気が済みませんでした。とにかくサウロは、「主の弟子たち」つまりキリスト教徒を「脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」(9:1,2)というのです。この言い方からしますと、サウロは、ユダヤ自治機関であるサンヒドリンの議長である大祭司の許可を得て、つまり逮捕状のようなものをもらって、ダマスコのキリスト教徒をエルサレムに連行するために、一隊の指揮者として道を急いだということなのでしょう。

・「ダマスコは、今日のシリアの都市ダマスカスのことですが、旧約聖書の族長アブラハムの時代からその名が知られていた古い都市でした。アラム人の都市国家として発展し、旧約聖書の時代をとおして南部シリアの中心でした。ダマスコには多くのユダヤ人が住みついており、その数は新約聖書の時代では、15,000人以上だったと言われています。もともと、ユダヤ人の多い町でしたが、エルサレムで迫害されたクリスチャンたちのうちかなりの数がダマスコに逃れて来ていたと想像されます。そこで、サウロは次の迫害の目標をダマスコに逃れて行ったクリスチャンに定め、彼らを捕まえて連行するためにエルサレムの大祭司から特別の許可を得たのであります」(以上、三好明『使徒言行録』より)。

・「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(3,4節)というのです。サウルはサウロの古い読み方で同じ名前です。7節によりますと、サウロの同行者たちは、声だけは聞こえたが何も見えなかったと言われています。同じパウロの回心記事であります使徒言行録の22章9節によりますと、その光は見たが声は聞こえなかったと記されています。何れにしろ、ここでのイエスとの出会いは、サウロとの間にだけ起こったことなのです。

・サウロは、「なぜ、わたしを迫害するのか」というイエスの声を聞いて、「主よ、あなたはどなたですか」と問いかけます。この「主よ」という言葉は、サウロが「なぜ、わたしを迫害するのか」と自分に語りかけて来たイエスを、自分の上に立つ支配者であることを暗黙の内に認めていることを意味しています。そして、サウロは、ここで、イエスから決定的な言葉を聞いたのです。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町には入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」(5,6節)。

・この衝撃的なイエスとの出会いの出来事の中で、サウロは、キリスト教徒への迫害を行っている彼自身の行為が、イエスご自身に対するものであるということを突き付けられます。そして、突然の天からの光に照らされて地に倒れていたサウロに、イエスは、「起きて町には入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と、サウロ自身がなすべきことは何かということを、イエスによって指し示されるというのです。

・このイエスとサウロの応答の中に、すでにイエスは「主」であり、サウロはその主であるイエスの「僕」であるということが明らかになっています。私は、このパウロの回心の物語が指し示していますように、イエスを信じるということは、イエスによって私たちが、自分が本当に成すべきことは何か、ということを示されることだと思っています。いわば、自分がこの世に命与えられて生存を許されているということが、何なのかということ、そしてこの自分の人生の目的は何かということを、私たちはイエスを信じることによってはっきりと自覚するようになるのではないでしょうか。サウロは、このイエスとの出会いによって、それまでの厳格なユダヤ教の律法の教師としての生き方を、180度方向転換をして、迫害していたイエスを宣べ伝えて行く使徒として生きていくことになります。彼はそこに自分の召命、神さまが自分を招いていてくださる道を見出していったのです。その神の召命は、サウロのように、また私のような牧師として生きている者だけの特別なことではありません。イエスを信じる一人一人は、誰もがイエスの証人として、「あなたのなすべきことが知らされている」存在ではないでしょうか。

・さて、「サウロは倒れた地面から起きあがって、目を開けましたが、何も見えませんでした。そこで、人々は彼の手を引いて、ダマスコの中まで連れて行った」(8節)というのです。そして、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」(9節)と記されています。このことは何を意味するのでしょうか。イエスが十字架に架けられて殺されてから復活するまでにも、その間に延べ三日間という時間がありました。この三日間は完全にイエスが死んだということを意味していると言われています。おそらく「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」ということも、サウロにとっては、それまでの古い自分の死を意味するものではないでしょうか。厳格なユダヤ教徒として、キリスト教徒を弾圧することに自分の使命を感じていたサウロは、この天からの光に照らされて倒れたとき、死んで葬られたのです。そして主イエスとの幻の中での対話を通して、本当に自分がなすべきことは何かに目覚めていくのです。

・サウロは、この後イエス・キリストのからだなる教会の建設に一身を賭して取り組んで行きます。それは、神がイエスをこの世に遣わしてくださり、その生涯と十字架と復活の出来事によって私たちにもたらしてくださったのは、イエスを長子とする兄弟姉妹関係に全ての人が招かれているということだと考えたからです。それぞれが一つのからだの肢体としてイエスに連なり、その肢体の中で最も弱い部分をかばいながら全体として生きる生命体です。〈目は手に向かって[お前は要らない]とは言えず、また頭が足に向かって「お前は要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせ、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊っとられれば、すぅべての部分が共に喜ぶのです〉(汽灰12:21-26)。

・ここには、共感をベースにした共苦・共喜という人間相互の関係が明確に述べられています。教会はイエスのからだであって、そのような一つの生命体だと言うのです。これは教会だけのことではなく、私たち全てにとって、命与えられてこの世に生を紡いでいくということの、深い意味でもあるのではないでしょうか。

・サウロにとって、イエスとの出会いによって与えられたなすべきこととは、そのようなイエスのからだである教会の建設だったと思われます。そのことからすれば、今日、私たちもまた、イエスのからだに連なる者として、傷んでいる人々に寄り添い、共に苦しみ、共に喜び、連帯へと召し出されていると、言えるのではないでしょうか。サウロの回心の物語を通して、私たちが洗礼を受けて生まれ変わったことの意味を、改めて想い起すことができれば幸いです。イエスとの出会いは、すべての人に開かれています。サウロが変えられたように、誰でもがイエスとの出会いによって変えられる可能性を信じ、希望をもって歩みつづけたいと思います。