なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(36)

      使徒言行録による説教(36)使徒言行録9:32-43
                
使徒言行録の著者ルカは、使徒言行録9章でサウロ=パウロの回心とダマスコとエルサレムでのパウロの宣教活動とパウロへの殺害計画を記した後、9章31節で、教会が内外で成長を遂げているという総括的な言葉を記しています。

・新共同訳ではありませんが、31節を読んでみます。「さて、教会は全ユダヤガリラヤ、サマリアにわたって平安を保ち、主を恐れる恐れによって建てられ、歩み、聖霊の呼びかけ(励まし)によって増えていった」(田川訳に( )を補ったもの)

・このルカの教会の内外にわたる成長についての総括的な言葉の中に、教会とはどんな人の集まりなのかがはっきりと記されているように思います。

・ここでは、教会は、「主を恐れる恐れによって建てられ」と言われています。つまり主に対する恐れが、教会建設の根幹であるというのです。主に対する恐れは、イエスこそ主であるという信仰です。このことを想い起す時に、バルメン宣言の一項の言葉を想い起さざるを得ません。

・<「われは道なり、眞(まこ)理(と)なり、生命(いのち)なり。われに由らでは誰にても、父の御許に至るものなし」(ヨハネ14:6)。「まことに誠に汝らに告ぐ。羊の檻に門より入らずして、他より越ゆる者は盗人なり。強盗なり。われは門なり。おおよそわれによりて入る者は救われる」(ヨハネ10:1,9)。

・聖書においてわれわれに證しせられているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。教会がその宣教の源として、神のこの唯一の御言葉の他に、またそれと並んで、更に他の出来事や力、現象や眞理を、神の啓示として承認し得るとか、承認しなければならないとかいう誤った教えを、われわれは斥ける>

・イエスを恐れる者は、他のどんなものによる恐れからも解放されているのです。教会に集う者は、そのことを信じて生きて行こうとしているのです。ですから、主を恐れる恐れによって教会は建てられて行くというのです。

・31節では、また「聖霊の励まし、慰め」によって信徒の数は増えて行ったと記されています。そのようにして教会は平安を保っていたというのです。しかしそのことは決して、教会が無事平穏であったというわけではありません。人間の集まりである教会には、この世の現実で起こるさまざまな問題がそのまま反映されます。

使徒言行録の著者ルカは9章32節以下で、再びペテロを登場させます。エルサレムギリシャ語を話すユダヤ人の信徒は、ステファノが殉教した後迫害を受け、エルサレムを離れて周辺の町や村に逃げて行きます。その頃、同じギリシャ語を話すユダヤ人であるピリポによって、サマリア伝道が行われ、更にピリポは、今日の使徒言行録の個所に出て来るリダやヤッファのある地方にもその伝道活動を拡げていたと思われます。ペテロは、そのようにして生まれていた諸教会を訪問して、エルサレム教会の影響下に新しくできた諸教会を置こうとしたのかもしれません。32節の「ペトロは方々を巡り歩き」と新共同訳で訳されているところは、「ペテロは全ての教会を歴訪していた時に」(田川)を意味すると思われますので、そのようにペトロの行動を見ることができるのです。これがルカの創作なのか、実際の歴史的な出来事なのかはよく分かりませんが、ペテロはリダの教会=「聖なる者たちのところへも下って行った」(32節)というのです。

・リダ(ルダ)は、エルサレムの西北40キロの距離にある、シャロン平野にある町です。旧約聖書にはロドの名で出てきます(歴代誌上8:12、エズラ書2:33など)。現在もロドと言い、空港があるところです。70年代を通って来た者には忘れることのできない事件(出来事)ですが、かつて日本赤軍岡本公三が銃を乱射した空港です。

・ペトロはここで、中風のため8年間も床についていた、アイネアという人に会います(33節)。アイネアはギリシャ名ですが、彼自身はユダヤ人であったと思われます。ルカの考えでは、異邦人への伝道は10章のコルネリオから始まるからです。ペトロはアイネアに向かって、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」(34節)。すると、彼は直ちに起きあがったというのです。これはイエスご自身も中風の病者を癒されたという福音書の物語(マルコ2:12、マタイ9:6、ルカ5:24)を想い起させる記事です。ペトロは、3章では、足の不自由な人を、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言って癒したことが記されていました。ここにおいても、イエスが生前なさったのと同じ業を、彼自身も信仰によって行うことができたというのです。

・先週Mさんが私の説教についておっしゃった、「御言葉を語ってください」というのは、おそらくここでのペトロのように語れということではないかと思います。しかし、私には出来ません。ペトロのような方がいるということを否定はしません。実際私の神学校時代の同級生で、先日私が創立記念礼拝に行きました奥中山の出身である友人は、神癒を行っています。私ができることは寄り添うことです。癒しはできません。ただ病者の恐れはイエスによって解放されることは信じています。イエスを恐れる信仰は、他の全ての恐れから私たちを自由にすると信じるからです。ですから病者のことを覚えて祈ることができるだけです。

・さて、36節以下のヤッファのタビタの物語は、病ではなく死が問題になっています。ヤッファはリダよりさらに西南に位置する海岸の町です。この町はペリシテ人の町でありました。後にアッシリアペルシャマケドニアと支配が交代して、紀元前2世紀のマカベア戦争のときには、海岸進出をめざしたマカベア一族がこれを占領し、初めてユダヤ領になったと言われます。海港として、通商の要路に当っていた町です。現在ではテル・アヴィブの中に入っています。

・その町にタビタという名の女性の信徒(「婦人の弟子」新共同訳)がいたと言うのです。このアラム語の名前はギリシャ語ではドルカス(かもしか)となり、これはギリシャユダヤにおいて、女性の名として好んで用いられたと言われています。ここにわざわざタビタと出ているのは、後に続く蘇生物語のための伏線でもあります。彼女は「たくさんの善い行いや施しをしていた」(36節)と言います。しかし病死したために、彼女の遺体は、洗い清められて、屋上の間に安置されていました(37節)。屋上の間に遺体が安置されたのは、風通しがよいことと、神に近いところと考えられていたからでしょう。あるいは、旧約の預言者エリヤが屋上で子どもを蘇生させたことという故事を想い起しての上だったのかも知れません(列王記上17:17以下)。そしてペテロが近くまで来ていることを知った人々は、二人の使者を送って「急いでわたしたちのところは来てください」(38節)と頼みます。

・この短い依頼の言葉は、要件を具体的に述べずに、ただ急いで来て下さるように、という招きの言葉であります。ペテロはいかなる事態が待ち受けているかも知らず、その依頼を受け入れてヤッファにやってきました。すると、そこにも思いもかけず、一人のなきがらが安置されており、その遺体の前には、人々が生前の彼女の遺徳を偲んで泣いていました。すると、そこに入って来たペテロに、人々は生前「ドルカスが作ってくれた数々の下着や上着を見せた」と言うのです。

・最初はびっくりしたと思いますが、ペテロは直ちに状況を把握して、自分が為すべきことが何であるかを悟ったと思われます。「ペトロは皆を外に出し。ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタよ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起きあがった」(40節9と言うのです。

・これはイエスが、十二歳の少女に向かって、「タリタよ、起きなさい(タリタ・クミ)」(マルコ5:41)と呼びかけて蘇生させたという物語を連想させます。タビタという名前が特に示されたのは(9:36)、タリタ(少女)という言葉を連想させるためであったと思われます。そしてペテロの場合も、イエスの場合と同じくこの女性も生きかえったのであります。イエスと同じ業をする力が、ペテロにも与えられたというのです。

・高橋三郎さんは、福音の前進する道筋について、その多様な在り方をルカは並記していると言います。一つは使徒言行録2章の聖霊降臨に続いて行なったペテロの最初の説教のような形での在り方です。その際ペテロはイエスの復活を証言すると共に、人々に悔い迫りました。その時3000人の信徒が新しく加えられたと言うのです(2:41)。二つ目は、ステファノの殉教・迫害を契機に、「エルサレムから散らされた信徒たちによって、御言は広く各地に波及して行ったのであり、これもまた、福音前進の一つのあり方として、注目すべき現象であった」と。そして、三つ目が、今日の物語に示されているように、病と死の克服という癒しの業を通して、「人々の魂が主のみもとに導かれてるのである。そしてこれもまた、キリストの福音の本質を明示する、大切な表れ方であった。福音とは、人間存在全体に関わるものであって、キリストは魂の救いのみならず、人間のからだを蝕む病と死に対しても、救いの手を伸ばしたもうということが、この二つの挿話によって、如実に証言されたのである」と。

・さて、かつて紅葉坂教会時代に、私はこんな言葉を何人かの人から聞いたことがあります。「教会は元気でないとなかなか来れないところだ」という言葉です。その中の一人の方は若い女性の方で、お子さんが二人いて、下のお子さんが自閉症の傾向がありました。そのお子さんのことだけではないと思いますが、ある時期から心の病になり、精神科の病院に入院中に自死されました。私はその方の葬儀を司式しましたが、大変つらい経験でした。そのこともあって、教会が病と死にどう向かい合うのかということは、私には大変大きく重要な問題です。突き詰めて言えば死とどう向かい合うのかということです。イエスの12歳の少女の蘇生にしろ、ペテロのドルカスの蘇生の奇跡にしろ、単なる奇跡物語であり得ないことだと言ってすますことはできません。ブルームハルトがゴットリービヴィンを「キリストは死の勝利者だ」という信仰をもって癒したこともそうです。私は同じことを出来ませんし、やろうとも思いませんが、死の勝利者エスという意味で、イエスは主であるという信仰の告白に立ちたいと思っています。私たち人間の病と死を、自ら同じ人間として担い、経験することによって、それに打ち勝ったイエスに希望を託したいと思います。