なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(242)復刻版

 今日も「黙想と祈りの夕べ通信(242)」復刻版を掲載します。2004年5月のものです。辺野

古の海でボーリング調査が強行されようとしている時、アメリカはイラク攻撃の最中でした。


       黙想と祈りの夕べ通信(242[-33]2004・5.16発行)復刻版
 
 連れ合いが5月10日の月曜日から15日の土曜日まで沖縄・辺野古のボーリング反対座り込みに出

かけています。結婚して37年になりますが、連れ合いが一週間近く留守になるということはなか

ったように思います。若い時は子育ての時期でもあったということがありましたが、数日でも連れ

合いが留守すると、自分の気持がイライラしたものです。そこには何故自分が家事労働をしなけれ

ばならないのかという、家事労働は連れ合いがやって当然だという意識が自分のどこかにあったの

かも知れません。夫婦の関係が一方的なものでなく相互的なものであり、そこにある抑圧・支配は

性差別を意味するということを、繰り返し学んできましたが、頭では理解しているつもりでも、身

体が正直に男の優越を主張します。身体に染みついた男意識は、理念的な学びだけでは相対化でき

ないものです。何度も何度も失敗を重ねながら(その都度連れ合いの批判の矢面に立ちながら)身

体のメカニズムの中に夫婦が違いによる対等同等な存在であることを組み込んでいかなければ、染

みついた男を相対化できないものなのでしょう。今回の連れ合いの留守には、自分の気持の中に不

思議とイライラの虫が起きていません。その虫が死んでしまったのか、一時的に眠ったままなのか

は、よく分かりません。ただイライラのしない自分を意外に感じています。今まで性差別に関する

お話を多くの女性の方から聞いてきました。その中で一番インパクトがあったのは、エンデの『モ

モ』を訳された大島かおりさんのお話でしたが、ご自身の体験に裏付けられた迫力のあるお話でし

た。大島さんは結婚して英語の教師を続けながら、よき妻、よき母、よき嫁を演じて、心身の極限

に達し身体を壊したそうです。そこから自分らしく生きる道を歩み、40代になって翻訳業をするよ

うになり、当時50代後半だったと思いますが、自己表現も説得力があり、生き生きとしていまし

た。自己実現をめざす強い意志と他者への労りの深さを感じたものです。今日は自分のこの不思議

な感じをお話しさせてもらいました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。スペインの軍隊がイラクから撤退

する前に、シーア派の攻撃は一方的にアメリカによるもので、ついていけないと言っている。一方

アルカイダによると言われるが、アメリカへの報復としてアメリカ人捕虜の首を切り落とす処刑が

アメリカのインターネットに流れている。暴力と狂気の連鎖である。どうしたらこれを止められる

のだろうか。アメリカとイギリスにとってはアルカイダによると言われる残酷なこのニュースによ

って捕虜への虐待に対する非難がかき消されるかも知れない。ニュースを見ても、何もできない自

分がある。キリスト教の書物を読んでいて、ヨハネの黙示録3章15,16節のラオデキアの教会に宛

てられた「あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このよ

うに、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」が引かれ、冷た

いか、熱いか、どちらかにして、一番いけないのはどちらでもない無関心であるということが書い

てあった。マザー・テレサも愛の反対は無関心であると言っている。沖縄辺野古の海に基地が作ら

れ、海が破壊されようとしている今、またイラクの状況を考えるとき、無関心はいけない。主の平

和が来たりたもうように祈りたい。



          「音楽」(『ルターによる日々のみことば』より)


 新しい歌を主にむかって歌い、

 喜びの声をあげて巧みに琴をかきならせ。       詩篇33:3


 音楽は、神から与えられたもっとも美しくすばらしい贈り物のひとつです。サタンは、音楽をき

らいます。それは誘惑とあしき思いを追い払う大きな力をもっているからです。悪魔は、この女性

(音楽)をうけいれません。音楽はもっともすばらしい芸術のひとつです。音楽はことばを生かし

ます。サウル王の例に見られるように、音楽は悲しみの霊を追いやります。

 音楽は悲しんでいる心にたいする最良の香油です。それは心に満足を与え、生気を与え、心を生

きかえらせるのです。

 音楽は神学とならんで神の与えられた栄光の贈り物です。わたしはこの世のなにものをもってし

ても、この音楽という小さな贈り物と交換することをのぞみません。わたしたちは青年たちにこの

芸術を教えるべきです。これはりっぱな賢い人々をつくるからです。

 「主にむかって新しい歌を歌え。全世界よ、主にむかって歌え」。神はわたしたちの心と思いを

その愛するみ子によって喜びにみたしてくださいました。このみ子はわたしたちを罪と、死と、悪

魔からあがなうために、神がわたしたちにくださったかたです。この真理を信じる人はだれでも、

これについて喜びの歌を歌い、語らざるをえませんから、他の人々はそれを聞き、その理由を知る

ことができます。反対にもしこれについて歌ったり、語ったりしないならば、それはその人が信じ

ておらず、新しい喜びの契約のうちにまだはいっていなかったしるしであり、まだ古い曇った契約

の中にいることを示しております。
 
                               讃美歌集の序文