なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(469)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(469)復刻版を掲載します。2008年9月のものです。

 20日の日曜日夕方からピースサイクルの方々が、船越教会に来て泊まって、21日の朝出発して、次

の目的地に向かっていきました。私は21日の午前6時前に、後は連れ合いに任せて、宝塚の教会で行わ

れた「沖縄から米軍基地を撤去し、教団〈合同のとらえなおし」を求め進める連絡会」の世話人会にでか

けました。宝塚の教会で午前11時から午後3時までの会でしたが、日帰りで昨夜には鶴巻に帰ってきました。

このところ、なかなか忙しく過ごしています。

 私の支援会の意見広告がキリスト新聞に掲載されました。続いてクリスチャン新聞にも意見広告がでま

すので、広く紹介していただければ幸いです。


         黙想と祈りの夕べ通信(469[-51]2008・9・21発行)復刻版


 9月15日の祝日に教区オリエンテーション委員会と教区基地自衛隊問題小委員会との共催で「横須賀基地

見学会」が開かれました。教会からはYさんと私が参加しました。チャーターした船で横須賀の米軍基地と

海上自衛隊の艦船を見ましたが、その前に横須賀で基地反対運動を長年担っておられるIさんという平和船

団の方が、M牧師に続いて話してくれました。このIさんのお話がすごく印象に残りました。一つは、米軍横

須賀基地は湾岸戦争アフガニスタンイラク攻撃に直接参加しているということです。横須賀を母港とし

ている空母から爆撃が行われ、その回数は湾岸戦争のときは空母ミッドウエイから3300回、イラク攻撃の時

は空母キティホークから5375回爆撃が行われ、イラクの市民がどれだけ被害を受けているのかわからないと

いうのです。横須賀の市民も一風景として軍港を見ていて、この基地の実質がなかなか分からないと。横須

賀米軍基地は戦争に直結しており、日本が米軍に基地を提供している限り、その戦争に私たちも加担してい

ることになるのです。二つ目は、ミサイル防衛についてです。今米軍再編による日米軍事同盟化が進んでい

ますが、その一つの目玉がミサイル防衛網です。これは防衛とは名ばかりで、相手の攻撃を封じるだけでは

なく、封じた上で、相手を攻撃するためのものです。このアメリカのミサイル防衛網に既に日本が組み込ま

れていると言えますが、これは明らかに憲法違反です。三つ目は、海上自衛隊の中でのいじめによる自衛官

の自殺、幹部によるセクハラや暴行事件という問題です。幾つか裁判も行われています。Iさんたちは自衛官

と家族のためのホットラインを作って、そういう問題にも取り組んでいます。原子力空母における事故の問

題はもちろん、横須賀における基地問題の深刻さを改めて強く考えさせられました。

 上記の私の発言に続いて次のような発言がありました。14日の夜娘と行き違いを起こし、気分転換に本屋

に出かけた。そこで目に留まったのが『求めない』という表題の本でした。その本を買い求め、ベンチで一

気に読んだ。その本を読み進めていると娘との行き違いの原因は、自分が娘に期待を押し付け何かを求めて

いるから反発されるのだとずばりと言われている気がした。他者に何かを求めないで、自分自身の中をしっ

かり見つめ、自分自身が思ったことを自分自身で深めていく。読んでいるうちに笑顔になる。力強い本で書

き手がどのような人かと、あとがきを見ると80歳の方で、60代になってから自由に生きることを求め続け

ていて「求めない」というこの本は最近噴き出すように言葉が出てきたと言っている。聖書には「求めよ、

さらば与えられん」という言葉があるが、この場合の求めるとは自分と神との関係をしっかりする、そのと

き相手に求めないで、相手に添える生き方ができるということだろう。気分が落ち着き、ついでに信徒の友

10月号で紹介されている映画「イントウ・ザ・ワイルド」を観た。この映画は虚栄の家族から出て青年が無

一文でアラスカをめざし旅をする。いろいろな人との出会いの中で成長していくというテーマの映画で、

10年前にノンフィクションになったものを監督が映画化したものである。映像も素晴らしく、いろいろな

年代の人と共有したいと思わされ。本と映画との出会いでちょっと気分が落ちていた私は元気をもらい、人

の目を気にせず自分自身を見つめてしっかり歩んでいきたいと思わされた。

 もう一人の方からの発言がありました。私は30年前の頃高見沢潤子さんのお話を聞くのが好きでよく聞

いた。高見沢さんは、一日に10回感動するような生活をしなさいと言われた。前後の話は忘れたが、この

言葉が深く心にしみ込んだ。それからはこの言葉を忘れることなく、今も覚えている。最近は余りにも自分

の生活の中でいろんなことが起きる。忘れられないことの一つは、レックス・ハンバード博士のことで去る

日曜日には週報のコラムを書いたTさんとお話できたことである。教会というか、信じて生活していることは

感謝であり、うれしく思う。

        

              「黙想」            9月21日


 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(ルカ21:3)という時、イエスは私たちに永遠のいの

ちに到るまっすぐな道を示しておられます。イエスのみ言葉には、私たちの心と精神を変え、私たちを神の国

へ導いて行く力があります。「わたしたちがあなたがたに話した言葉は霊であり、いのちである」

ヨハネ6:63)とイエスは言われます。

 私たちは黙想することを通して、イエスのみ言葉が精神から心へと下り、そこに聖霊の宿る場所を作ること

に協力するのです。どこへ行き、何をするにしても、イエスのみ言葉の近くに留まりましょう。イエスのみ言

葉は永遠のいのちの言葉です。



                      (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)