なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(253)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(253)」復刻版を掲載します。下記通信の中に、「イラクの問題

は、戦場がイラクだけというのではなく、実は既に私達が住んでいる町も戦場の一部となっていることを

思わされる」という一文があります。この認識は大変重要ではないかと思います。


   
         黙想と祈りの夕べ通信(253[-44]2004・8.1発行)復刻版


 去る日曜日午後に大崎の労政会館で、「沖縄の自然を守る」集会があり、連れ合いが辺野古でお世話に

なった方も報告者として来ること、また宇井純の講演もあるというので、二人で参加しました。宇井純

ついてはご存じの方も多いと思いますが、大学の研究室に留まることを捨てて、公害の現場の研究調査を

通して、反公害運動のために学者としての全精力を注いで活動してきた人です。以前から一度話を聞いて

見たいと思っていた人の一人です。午後2時からの集会でしたが、少し遅れましたので、宇井純の講演は

終わりの方を少しだけしか聞けませんでした。沖縄の海の環境にとって赤土や黒土(?)の流入が問題

で、どうすれば被害が防げるかという学問的な見通しについて、赤土に関してはほぼ結論が出たそうで

す。お金はかかるが、後は「政治的意志」の問題です、と宇井純はきっぱりとおっしゃっていました。行

政がそれをするかどうか、あるいは運動によって行政にそういう政治的意志をもつようにさせられるかど

うかということです。環境保護においてどんなに科学的に解決の方法が見出されても、それを実際に実践

することができるかどうかが問題になるわけです。そこに政治的意志の働きがどうしても必要となりま

す。当たり前のことですが、すぱっとそれが言える宇井純に感心しました。最後に宇井純と3人の報告者

のパネルディスカッションがあり、宇井純のコメントの中に印象的な発言がありました。沖縄大学を退官

して東京に帰るとき、連れ合いの運転で40日間かつて公害運動で関わったところを回ってきた。今も元

気なところはかつての闘いが何等かの形で継承されてきている。運動は殆どが敗北だが、それでもいくつ

か勝利したところがある。一つでも勝てば、運動に希望を与えると。穏やかな風貌の中に大変強い意志

を、宇井純から感じ、さすがだなあと思わされました。

 続いて一人の方の発言がありました。今叔父が老健に入っており、また従弟も入院し、区役所によく手

続きをしに行くことがある。二人分の手続きをするので、待ち時間があり、窓口で対応している役所の人

を見ていたら、その中の一人は聾唖の方に手話で対応していた。その人自身も補聴器をつけていて、どう

聴覚障害があるようだ。私も彼に対応してもらった。通常役所の人は一つの手続きにはその対応しかし

てくれない場合が多く、いくつもの手続きを親切には教えてはくれない。しかし、彼は大変親切にトータ

ルに先の先まで教えてくれた。補聴器をしていて、話し言葉も聞きにくいことからすると、彼にはハンデ

ィキャップがあると思われる。それが彼の賜物なのだろう、弱者の立場に立って物事を考えられるのでは

かと思う。私がいろいろな手続きの書類をもっていたので、トータルに教えてくれた。ハンディをもつこ

とはその人には大変だが、彼の場合はそのハンディが用いられていることを感じた。私自身は丈夫な体を

与えられて、弱さの中で人に対する本当の理解をするということもなく来てしまった。彼の存在がとても

素晴らしく思え、自分としても光が見えた感じである。 

 また別の方の発言がありました。自分は学校の放送部の顧問をしているが、今年は池子の基地反対運動

をしている方々のコメントをドキュメンタリーにまとめた。去年は寿を扱ってコンクールに出して評価さ

れたが、今年も同じようにコンクールで評価された。基地に反対の側だけではなく国や米軍のコメントも

とりたいと思い、交渉したが断られた。元気のよい生徒がいて、先生がダメなら私達がと言って交渉した

が、ダメだった。高校生が知りたいことも知らされない現実があるということだ。沖縄、池子、神奈川の

基地とみんな繋がっている。そしてイラクの問題は、戦場がイラクだけというのではなく、実は既に私達

が住んでいる町も戦場の一部となっていることを思わされる。