なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(117)

        船越通信癸隠隠掘 。横娃隠廓7月14日        

・猛暑の日が続いています。この尋常でない暑さを乗り切るためには細心の注意と工夫が必要で

す。何とかこの猛暑の時期を乗り切っていきましょう。くれぐれも気をつけてお過ごしください。

・さて、7日の日曜日は第一日曜日でしたので、本来ならば礼拝後昼食会があるところでしたが、

この日はありませんでした。21日の日曜日に移行しました。21日の日曜日は、私が出張して岩

手の奥中山というところにあります教会の創立記念礼拝の説教奉仕にいき、船越教会の礼拝説教は

藤沢ベテル伝道所のK教師に担当してもらうことになっているので、この日に昼食会をすることに

したからです。ですから7日の礼拝後はお茶をいただきながら懇談の時を持ちました。この日の礼

拝出席者は14名でしたので、いつものテーブルのある部屋が一杯になりました。人数というのは

不思議なものです。4月からの礼拝で一番少なかったのは7名です。7名ならまだよいのですが、

以前には4名か5名という時がありました。さすがに4名は寂しい感じがします。だからと言っ

て、牧師として礼拝にかけるエネルギーは、出席者の数に関係なく同じなのですが、数のマジック

のようなものがあるのかも知れません。

・この日はお茶と懇談が終わってから、役員会が行なわれました。船越教会の役員会は私を入れて

5名です。各自持ち寄りの昼食をいただき、役員会の議事に入りました。報告の中で、6月29日

に開催された第130回神奈川教区総会の報告を議員のTさんと私が行いました。特に私の戒規免

職処分に関係する議員提案議案「北村慈郎教師の『免職』撤回を求め、教団内に聖餐の在り方につ

いて慎重かつ十分な議論をする場の設置を求める件」が賛成多数(148人中100名の賛成)で

可決されたことを報告しました。また、福音主義教会連合や連合長老会に属する東神大出の若手の

教職から、これまでの神奈川教区総会の議事の進め方に対する意見が次々に出ました。例えば、神

奈川教区総会では議事が始まる前に必ず教区形成基本方針の朗読がありますが、この朗読に対する

教団の信仰告白、教憲教規との関連での否定的な発言。今回は2名の補教師の准允式がありました

が、神奈川教区が按手・准允の前に必ず議場に問うています、「今回の教師検定試験が神奈川教区

から見て不当とまでは言えない」という確認は不必要だとする発言。2013年度の各種委員会の

委員選任の件では、教団から免職処分を受けている私が委員長をしているオリエンテーション委員

会と寿地区活動委員会は別途に扱って承認を求めるという動議など、ことごとに反対のための反対

の発言がありました。2月に新しく教区議長になったT・Aさんは、丁寧にその意見を受けとめて

いましたが、Tさんによれば、結果として議場に来ている人の中には、そのおかしさがよく分かっ

たのではないかという感想でした。このような発言は、ほとんど手続き論に終始していて、内容に

踏み込むことはありません。ああ、そんな考え方もあるのか、なるほど…と思うような発言は、ほ

とんど皆無です。言って見れば、全てが彼らが属するグループが求める政治的な発言なのです。彼

ら自身がそんなことを続けていたら疎外されて行くのではと心配です。相手の意見に耳を傾け、も

しその意見に賛成できないのなら、自分の思うところを語り、何が真実なのかを互いに追究してい

く態度でないと、成長することができないと思うからです。若い人にこういうことを強いる、教団

の中にある対立構造を70年以来作って来てしまったのは、私の世代の責任でもあります。教区総

会の場では免職以来ほとんど発言しないで、私はじっと聞いていますが、心が痛みます。

・9日(火)は午後某神学校の説教演習を担当し、終わってから追浜で1000円で頭の毛がのびたの

でカットしてもらい、船越教会で翌日10日の裁判報告集会で配る資料の印刷をして、その日の夜に

M教会でありました、セクシュアル・ハラスメント学習会に出席しました。講師は同志社大学神学

部教授のSさんでした。プロジェクターを遣ってセクハラ、パワハラの実例を沢山分かりやすく話

してくれました。それを聞きながら、私もいくつかハラスメントを犯していることに気づかされま

した。その一つは、日曜学校の子ども時代に呼んでいた・・・ちゃんを、その子が大人になっても

同じように呼ぶのもハラスメントと講師は言われましたが、これは結構私もしていますので、これ

から気をつけていかなければと思わされました。講演を聞いていて、この問題の難しさは、私たち

が自分自身の中で身につけた構造のようなもの対する無自覚にあるように思えました。相手との関

係性の中でそのような自分の構造を問う視座を失わないようにしていかなければと思わされまし

た。自分の言葉や行動が相手に不快感を与えることを完全になくすことはできませんが、居直って

はならないということでしょうか。

・10日は私の裁判の控訴審判決の日でした。船越教会の皆さんも沢山傍聴と報告集会に来てくだ

さり、ありがとうございました。判決は残念ながら一審同様却下でした。私としては、一審の時よ

りも今回の方が、緊張感が少し高かったようです。それだけ一審よりは少し良い判決が出るのでは

という期待を持っていたのかもしれません。一審の判決が余りにもひどかったので、あれほどひど

い判決がでるだろうかと、甘い期待を持っていたのでしょう。ほとんど一瞬(5秒?)でしたが、

「本件控訴を却下」と聞いて、むしろ腹が据わりました。最高裁に上告し、裁判は最後まで貫くこ

とにしました。傍聴には、今回も法廷に入り切れないほど沢山の人が集まって下さいました。北海

道からも九州からも傍聴にかけつけてくださいました。報告集会にも約110名の方々が集まってく

ださいました。傍聴だけで帰られた方もありますから、120名近くの方々が、この猛暑の中を裁判

に来て下さったことになります。大阪から来て下さったKさんが、「判決の結果よりも、今回支援

者の集まる人数に注目していたが、全く減らなかったのでよかった」という趣旨の発言をしていま

す。実は私もこの暑さですから、私も今回は人数が減るのではと思っていました。ところが、そう

ではなかったので、本当に心強く思いました。今後は、今まで以上に教団内運動に力を注いでい

き、「未受洗者配餐」によって第二の戒規免職処分者を出さないようにしていきたいと思っていま

す。判決文等詳しくは私のブログ「なんちゃって牧師の日記」をごらんください。