なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

控訴審判決(その3)

第3 当裁判所の判断
1 当裁判所の判断は、次のとおり改め、当審における当事者の主張に対する判断を後記2のとおり加えるほかは、原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」1~3(原判決9頁17行目~14頁10行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決11頁5行目「ありから」を「あるから」と改める。
 (2)原判決11頁6行目末尾に「また、正教師に教師退職年金に加入する資格があり、掛け金の払込等の必要な要件を満たすことにより年金給付を受ける権利が発生するとしても、そのような権利が正教師の地位に包含されるものと解することはできず、正教師の地位は、前記のとおり、法律的な権利、義務を包含しない宗教上の地位というべきである。」を加える。
(3)原判決11頁8行目の「本件訴えは不適法であり、」を「本件訴えは、宗教上の地位についてその存否の確認を求めるものであって、具体的な権利又は法律関係の存否について確認を求めるものとはいえないから、確認の訴えの対象となるべき適格を欠くものに対する訴えとして不適法であり(最高裁判所昭和55年1月11日第三小法廷判決(民集34巻1号1頁。最高裁昭和55年判決))、」と改める。
(4)原判決12頁5行目の「前例との不均衡((エ))」を「(エ)前例との不均衡」」と改める。
 (5)原判決13頁17行目及び18行目の「戒規の性質」をいずれも「戒規の意義、内容」にk改める。
 2 当審における当事者の主張に対する判断
(1) 正教師の地位確認請求の適法性について
 ア 控訴人は、上記第2の4(1)ア(ア)ないし(コ)のとおり、正教師の地位は法律上の地位であり、正教師の地位を確認することが紛争の抜本的解決に資するから確認の利益が認められる旨主張する。
 しかし、前記引用に係る原判決(前記1において改めた後のもの。以下同じ。)が認定、説示するとおり、被控訴人における「教師」は、「神に召された正規の手続きを経て献身した者」とされ、正教師は、「正教師検定試験に合格し、教区総会の議決を経て、按手礼を領した者」とされ、正教師である教会担任教師は牧師と呼ばれ、「礼拝、伝道および信徒の信仰指導」、「聖礼典の執行」、「結婚式、葬式その他の儀式」の各「教務を執行する」とされているのであるから、正教師の地位が法律的な権利、義務を包含しない宗教上の地位であることは明らかである。正教師の地位から派生的な権利や地位等が生じたとしても、また、正教師であることが被控訴人における常議員や総会議員等の地位に就任するための資格ないし被選挙資格の一部を構成しているとしても、正教師の地位が宗教上の地位であるという上記判断が左右されない(最高裁昭和55年判決は、住職たる地位と代表役員たる地位とが不即不離の関係にあり、住職たる地位が代表役員たりうる基本資格となるものであるとしても、住職たる地位の確認の訴えが適法となるものではない旨判示している。)。
 したがって、正教師としての地位の確認を求める訴えは、具体的な権利又は法律関係の存否について確認を求めるものとはいえないから、確認の訴えの対象となるべき適格を欠くものに対する訴えとしては不適法である。
 控訴人は、紛争の直接的かつ抜本的解決のため、正教師の地位を確認する利益を認めるべきであると主張するが、正教師の地位が宗教上の地位であって、確認の訴えの対象となるべき適格を欠く以上、正教師の地位の確認の訴えを適法なものと解する余地はない。
 なお、控訴人は、宗教法人における檀徒の地位が法律上の地位に当たるとした最高裁平成7年判決を援用して、正教師の地位が法律上の地位に当たると主張するが、最高裁平成7年判決は、宗教法人の信者である檀徒の地位について、当該事案において具体的な権利義務ないし法律関係を含む法律上の地位ということができるとしたものであり、正教師の地位が宗教上の地位であると認められる本件とは事案を異にする。
 イ 上記のとおり、正教師の地位は法律的な権利、義務を包含しない宗教上の地位であると解されるが、控訴人は、正教師の地位が法律上の地位であるとして、その理由を具体的に主張しているので、これについて付言する。
 控訴人の主張のうち、ー婬啓?觚◆↓∨匯婀枦銈傍鐔擦掘賃料相当額の保障を受ける権利及びス藩婪箒飢颪梁緝縮魄?銈涼楼未暴任する権限については、原判決が説示するとおり、被控訴人とは別個の法主体である紅葉坂教会との関係における地位であり、紅葉坂教会との間で準委任契約を締結することによって生じるものである(証拠(乙50)によれば、本件免職処分後も、紅葉坂教会が控訴人を牧師として処遇することを直ちに止めたわけではないことが認められる。)から、前記アで説示した正教師の地位に包含されるものではないことは明らかである。
 控訴人の主張のうち、6技嫗狄η金満額受給権、ぞ鏥聴?任権及びθ鏐義平輿躄餤聴?鐐挙資格については、いずれも控訴人と被控訴人間の問題であるが、前記アで説示した正教師の地位の内容から判断すると、これらの権利ないし資格が正教師の地位と不可分なものと解することはできない。
 控訴人の主張のうち、Ю偽技佞涼楼未、教規105条1項に規定される事務を司る権限の前提となる、あるいは、教規128条1項の教務教師、神学教師の地位に就く権限の前提となるから、法律上の地位であるとの主張については、これらの権限が法律上の権限といえるか疑問である上、これらの権限が前記アで説示した正教師の地位に包含されるものと解することはできない。
(2) 本件年金減額決定の無効確認請求の適法性について
 控訴人は、本件免職処分の効力を判断するためには、控訴人に対して適用された手続きについて、手続き違背その他の問題がなかったかどうかを、各種規定や条理、法の一般原則に照らして判断すればよく、教義や信仰の内容に立ち入らなければ判断できない部分はないから、本件免職処分の効力について司法審査が及ぶと解すべきであり、本件年金減額決定の無効確認請求は適法なものであると主張する。
 しかし、控訴人が主張する本件免職処分に至る手続きの瑕疵は、いずれも、教規や戒規施行細則等の文言に明らかに反する手続きが執られたというものではないから、原判決が説示するとおり、控訴人の主張の当否を判断するためには、戒規が控訴人の主張する手続きの瑕疵等によって無効となるかどうかを判断することが必要不可欠であり、さらにその前提として、戒規の意義、内容について解釈するとともに、戒規に係る手続準則を認定、解釈し、違反がある場合の効果を判断することが必要不可欠である。
 そして、教規や戒規施行細則には、「戒規は、教団および教会の清潔と秩序を保ち、その徳を建てる目的をもって行なうものとする」との規定や、「処分をうけたるもの悔改の情顕著なりと認めたるときは、教師委員会において構成員の3分の2以上の同意を得て、之を解除することを得」との規定があること、文献には、戒規の目的について、戒規は、教会または社会の基準に従って生きることに失敗した人を正すことを意図しているとか、戒規の本質的な面としてその目的は常にさ迷い出た聖徒を助け、いやし、回復することにあるなどと解説したものもあること、本件上告の結果を通知する文書には、悔い改めをもって復帰する道に進まれることを願う旨の記載がされていることも、原判決の認定するとおりである。
 そうすると、戒規は、会社における懲戒などと大きく異なり、被控訴人の教義、信仰と深くかかわるものといわざるを得ず、戒規が控訴人の主張する手続きの瑕疵等によって無効になるかどうかを判断するためには、被控訴人の教義、信仰の内容に立ち入って審理、判断することが避けられない。したがって、本件訴訟の本質的争点である本件免職処分(聖礼典執行に関し、教憲及び教規に違反し続けていることなどを理由とするもの)の効力の有無については、裁判所の審理判断が許されず、本件年金減額決定の無効であることの確認を求める訴えは不適法というべきである。
(3) 不法行為に基づく損害賠償請求の訴えの適法性について
 控訴人は、本件免職処分の効力について司法審査が及ぶと解すべきであり、本件免職処分を巡る被控訴人の一連の行為が不法行為に当たることを理由とする損害賠償請求は適法なものであると主張するが、上記(2)のとおり、本件免職処分の効力の有無については裁判所の審理判断が許されないものというべきであり、本件免職処分を巡る被控訴人の一連の行為が不法行為に当たることを理由とする損害賠償請求についても、原判決が説示するとおり、被控訴人の教義、信仰の内容に立ち入ることなくして判断することはできないものといわざるを得ない。したがって、同請求についても、裁判所の審理判断が許されず、同請求に係る訴えは不適法というべきである。
 第4 結論
 よって、本件の訴えのいずれも却下した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

   東京高等裁判所第1民事部

         裁判長裁判官      福 田  剛 久

            裁判官      石 橋  俊 一

            裁判官      中 野  琢 郎