なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

控訴審判決文(その2)

(ウ)控訴人は、正教師であることに基づき、被控訴人の被包括団体である紅葉坂教会
の代表役員等としての地位に就任しているところ、教会の代表役員は、被控訴人の教憲・教規等に則り制定された規則(被控訴人の承認を要する教会規則)につき、法令等と同等の遵守義務が課せられており、実質的に、教会を通じて、被控訴人の教憲・教規等を社会に直接還元するための業務執行行為等をなすことができる立場にあるといえる。よって、正教師として紅葉坂教会の代表役員等の地位に就任する権限を有することは、被控訴人との関係において正教師としての地位が法律上の地位であることを基礎付ける一要素と評価されるべきである。
(エ)教会担任教師は、教規105条1項に規定される事務、例えば、教団事務局及び
教区事務所との連絡に関する事務を司るところ、これらの権限を有することも、正教師としての地位が法律上の地位であることを基礎付けるというべきである。
(オ)正教師としての地位は、被控訴人の常議員に就任する権限の根拠となるものであ
るところ、被控訴人の常議員会は、総会に次ぐ議決・執行機関と定められており、常議員の一員であることは、被控訴人における政治の中枢にいて、被控訴人の重要な意思決定に参与する権限を持つことであり、常議員であることは責任役員になるための必須の要件となっているから、このことは、正教師としての地位が法律上の地位であることの根拠のひとつとなるというべきである。このことは、最高裁判所平成7年7月18日第三小法廷判決(民集49巻7号2717頁。最高裁平成7年判決)の趣旨に照らしても明らかである。
(キ)正教師としての地位には、被控訴人との関係において、被控訴人(教団・教区)
の役職に就く組織法上の地位、さらに教規128条1項の教務教師、神学教師の地位に就く権限も含まれるところ、これらの正教師としての地位に派生する権利も、正教師としての地位が法律上の地位であることを基礎付けるものである。
(ク)教師退職年金の満額受給権は、経済的かつ重大な法律関係であるから、その前提
となる正教師の地位は、法律上の地位であるというべきである。そして、本件年金減額決定の無効確認請求が追加された後においても、正教師の地位という基本関係から派生する可能性のある他の紛争を予防するという確認訴訟の本来的な機能が期待できる限り、正教師の地位の確認の利益は失われないというべきである。
(ケ)被控訴人が発行する「教勢一覧」から換算すると、1教会担任教師当たりの教師
謝儀は、年間平均338万9523円であり、民間企業の賃金水準に匹敵するものとなっており、教師は職業性を有する。控訴人自身も、平成17年から平成21年までの間、教師謝儀として年間825万円の収入を得ていた。本件免職処分は、実態として、専ら控訴人の教会担任教師の社会経済的職務を解くことに向けられた処分であることからすれば、本件免職処分の効果を争うことが、教会担任教師の職務の対価として支払われる謝儀その他の具体的な法律関係を回復するための法的紛争として、裁判所の審査の対象となって然るべきである。
(コ)正教師としての地位は、ー婬啓?觚◆↓∨匯婀枦銈傍鐔擦掘賃料相当額の保障
を受ける権利、6技嫗狄η金満額受給権、ぞ鏥聴?任権、ス藩婪箒飢颪梁緝縮魄?銈涼楼未暴任する権限、θ鏐義平輿躄餤聴?挙資格や教団における教務権限、Ф亀105条1項に規定される事務を司る権限の前提となるところ、例えば、控訴人が紅葉坂教会との間で謝儀受給権があることを訴訟で確認したとしても、真の紛争の相手方である被控訴人は、「教会との関係で謝儀がどうなろうとも、被控訴人としては正教師としての地位は認めない。」と主張し続け、正教師としての地位を巡る紛争の直接的かつ抜本的解決に必ずしもつながらないことは明らかであるから、正教師という地位を付与又は剥奪する主体である被控訴人を相手として正教師としての地位を確認する利益が認められるべきである。
イ 本件年金減額決定の無効確認請求の適法性について
本件免職処分の効力を判断するためには、控訴人に対して適用された手続きについて、
手続き違背その他の問題がなかったかどうかを、各種規定や条理、法の一般原則に照らして判断すればよく、教義や信仰の内容に立ち入らなければ判断できない部分はないから、本件免職処分の効力について司法審査が及ぶと解すべきであり、本件年金減額決定の無効確認請求は適法なものである。
ウ 不法行為に基づく損害賠償請求の訴えの適法性について
上記イと同様に、本件免職処分の効力について司法審査が及ぶと解すべきであり、本件
免職処分を巡る被控訴人の一連の行為が不法行為に当たることを理由とする損害賠償請求は適法なものである。
(1) 被控訴人の主張
ア 正教師の地位確認請求の適法性について
控訴人の上記(1)アの主張について争う。正教師の地位が宗教上の地位であることは明
白である。なお、控訴人の個々の主張に対する反論は以下のとおりである。
(ア)控訴人に謝儀を支払っていたのは、控訴人と準委任契約を締結した紅葉坂教会であり、紅葉坂教会は、控訴人に対し、本件免職処分後も、任期満了となる平成23年3月末日まで、牧師館の使用を認め、謝儀を支払い続けていた。被控訴人の謝儀の基準額は、目標値を定めたいわゆる訓示規定であり、基準額に達しない教会も多数存在する。被控訴人の謝儀受給権の相手方となる法主体は紅葉坂教会であり、謝儀受給権を根拠として被控訴人との関係で正教師の地位が法律上の地位であるとする控訴人の主張は失当である。
 (イ)牧師館は教会の所有に属し、その使用関係について被控訴人が介入する余地はない。
 (ウ)正教師の地位は被控訴人が付与した純然たる宗教上の地位である。これに対し、教会の代表役員の地位は、招へいされた当該教会の地位であり、これを根拠に、正教師の地位が被控訴人との関係で法律上の地位となることはありえない。
 (エ)正教師の地位は宗教上の地位であり、正教師の様々な事務手続あるいは事実行為を行うからといって、正教師の地位が宗教上の地位であるという本質が変わることはなく、正教師の地位が法律上の地位となることはない。
 (オ)最高裁平成7年判決の事案は、信者と宗教法人との間の権利義務ないし法律関係について直接明らかにする規定を置いていない事案であり、正教師の地位が宗教上の地位であることが教規において明確となっている本件とは事実を異にする。常議員会の処置すべき事項からすると、正教師の地位が常議員就任の資格要件となっていると解したとしても、正教師の地位が法律上の地位であることの根拠とはならない。
 (カ)被控訴人の総会議員の被選挙資格は正教師の地位を要件とするものではない。
 (キ)正教師の地位は、宗教上の地位であり、正教師の地位に関連する派生的な権利関係があるとしても、そのことから正教師の地位が法律上の地位となることはない。
 (ク)教師退職年金は、任意加入であり、正教師たる地位とは直接の関係はなく、教師退職年金の満額受給権を根拠に正教師の地位を法律上の地位ということはできない。
 (ケ)控訴人が主張するように教師の職業性があるとしても、それは招へいされた教会との間の準委任関係から生じるものと解され、正教師の地位が純然たる宗教上の地位であることは変わらない。
 (コ)正教師の地位が純然たる宗教上の地位であることは教憲・教規に明記されている。控訴人の主張は、派生的なさまざまな権利の確認を無理に正教師の地位の確認訴訟の中で判断させようと試みるものであり、失当である。
イ 本件年金減額決定の無効確認請求の適法性について
本件訴訟の本質的争点である本件免職処分の効力の有無については、戒規の性質が単なる経済的又は市民的社会事象とは全く異質のものであり、被控訴人の教義、信仰に極めて深くかかわっているため、被控訴人の教義、信仰の内容に立ち入って審理、判断することが避けられないものであるから、裁判所の審理判断が許されないものというべきである。
ウ 不法行為に基づく損害賠償請求の訴えの適法性について
本件免職処分を巡る被控訴人の一連の行為が不法行為に当たることを理由とする損害賠償請求も、被控訴人の教義、信仰の内容に立ち入って審理、判断することが避けられないものであるから、裁判所の審理判断が許されないものというべきである。