なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(200)

 昨日は、鶴巻で行っている月一回の集まりがあり、一日そのことに時間を使いました。聖書を学び、温

泉に入り、食卓を囲むという会で、昨日は私たち夫婦を含めて5人でした。先週の末頃から、裁判の関係

のやるべきことが集中し、そのために時間を使いました。6月3日の控訴審後の報告集会をテープ起こし

して、弁護士の発言を文章化して、4人の弁護士に校正を出しました。支援会事務局長のKさんが報告集

会の弁護士の発言以後の質疑応答、各地区からの発言要旨をまとめてくれましたので、その一人一人に校

正の確認を私のほうから連絡しました。それに上申書など、いろいろとやることがあり、昨日まで追われ

ていました。何とか一段落しました。今日は、連れ合いが教区の婦人集会に参加しますので、私がこれか

ら国会前の辺野古新基地反対の座り込みに出かけます。辺野古の現地でずっと反対運動をしてこられたO

さんが亡くなったという知らせを耳にしました。かつて辺野古のテント村でお会いした年配の方々が、一

人一人と天上の人になっています。沖縄をはじめ日本の中から米軍基地がすべて撤去されるのは、いつの

ことでしょうか。その日と世界の平和の実現をめざして闘ってきた多くの方々がこの地上から天上に居を

移していますが、私たちもその人たちの天と地を包む大きな輪の中の一人として同じ夢の実現をめざして

歩み続けたいと思います。

 今日は「父北村雨垂とその作品(200)」を掲載します。



               父北村雨垂とその作品(200)
  
  原稿日記「風雪」から(その21)

 私が時に忽滑谷快天著の『達磨と陽明』に心を引かれるのは、この著者に表白された氏の論述に、私の

常に禅学の解釈に不安が絶えなかったところをその氏の論述の行間に禅学に於ける悟りという秘密が隠さ

れている様に至るところの箇所に於いてもささやいているのを小耳にする所に引き寄せられる悟りの秘密

とも云うべき陰影がどこからとも知れぬ触角らしきものに刺激を与えて呉れるからである。心ある人々の

ために敢えてここに記しておく。
                        1984年(昭和59年)8月20日


 快天氏はその著『達磨と陽明』中「八、陽明の心学禅の治心」に於いて陽明が徹頭徹尾心学を重んじ精

神の鍛練をもって学問の第一義とし、詩文等の芸能は末枝として重きをおかなかった。これ禅の不立文学

と同一の趣意であると云っているが、この点禅に於いてしばし頌を誦したるところに多大の誤差を私は感

ぜざるを得ない。私の考えている頌は禅者が不立文学なる一事を深く感知しているが故にその感懐を

「頌」すなわち歌によってそこに生起する律動による音楽的感情の美を媒介しての意識のコミュニケーシ

ョンなる伝達方法を採ったものとして甚だ貴重な手段即ち禅者の好個の知恵と観ること推量しているがど

うだろう。
                        1984年(昭和59年)8月16日


 禅学に於ける静座(天台に於ける止観)即ち沈思黙想の境を自己疎外とみる向きもあるが、これは自己

を全自然なる宇宙の状態に同調する自己により発する行為であって、そこに自己なる個の意識を無意識の

境に場を求めるところの個として単なる没入するのではなく、自ら進んで没入えという個の働きによって

そうした場所即ち境に達する行動であり、いわゆる自己疎外には外部より疎外とみられることあるも、吾

人はその見解をあくまで否定するものである。
                        1984年(昭和59年)9月15日


 近世の物理学者は原子模型に組立てる事項に血肉をしぼった哲学(西欧を主とした)意識の基体とも云

うべき生命の核について心血をそそぐ様な苦闘はしていないのではないか。つまりその現象学的に分析す

ることに、時には避けて通ろうとするのではないが、私はそれが形而上学的であったとしても奮って行学

すべきではないかと考える者であるが、倖に禅がその点について光明をとらえている様に考えられるので

あり、そうした点でも禅の構造を検出する努力する決心で俺すなわち私の持時間中を働き続ける覚悟はし

て居る。
                       1984年(昭和59年)9月16日


 陽明は禅学からそれを受けての体と用を云々することが多いとなしているが、私の考えでは目下のとこ

ノエマは体の用と云うより、体の核の用が体であり、そこにノエマがあり、ノエシスが観られ生命とい

う現象が自然現象の根源と考えられるのである。故に生命そのものが核であり、それは同時に生物即ち有

機物と総称し得る総での、つまり山川草木をも含む広大な意味を含むものの存在となる。それが核である

と考えられるのである。故に今後は自然と核の深い関係を考察してみたい。

                       1984年(昭和59年)9月19日