なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(195)

 昨日は久しぶりに連れ合いと二人で、立川の昭和公園に行ってきました。ポピーを見るのが第一の動機

でした。私ははじめてでしたが、広々としたこの公園の面積の大きさにびっくりしました。ポピーはもう

終わりに近い状態でしたが、楽しむことができました。むしろ印象に残ったのは、この公園にある樹木の

大きさです。一本一本の樹木が高く大きいのです。大きな広場の真ん中に一本だけあった、枝が横に広が

って葉っぱが茸状の大木が素敵でした。途中から園内を走っている汽車風自動車に乗って立川駅からの入

り口まで、車掌さんの説明を聞きながら、広い園内にある日本庭園や農業体験のできるこもれびの里など

を車(列車)の中からを見て回りました。

 この公園は、砂川闘争の立川米軍基地や陸上自衛隊立川駐屯地に隣接しているようで、私たちがその公

園にいる間、ひっきりなしにヘリの音がしていました。この広い公園も、軍用機の爆音の緩衝帯として、

或いは有事の時には軍用に転換できるために作られたものではないかと思いました。



               父北村雨垂とその作品(195)
  
  原稿日記「風雪」から(その16)

 
  或る異状川柳家の独語録

 日比谷の花壇に常住する蜜蜂的奴隷集団が知性ある市民のひんしゅくを臆面もなく闊歩している。かつ

て東京砂漠と評され知性人の適切な嘆声として聴いていたが、その日本の中央である東京のそのまた中央

の日比谷に巣くう彼等集団の非実践理性的行動に終止して恥をさらしている知性人の目を曇らせている。

                          1984年(昭和59年)5月19日

 
 形而上学は意識の觸角的発想行動によって科学に先導的指針を提供する自然的自発的意識の生産現象基

体とする学と云うことが出来る。
                  
                          1984年(昭和59年)5月19日


 近世までの多くの詩人や芸術家はその自然現象的世界の声を聴いたり、衣裳を観たり、或は対話したり

などして己れ自身である個に生きようと努めた。そこに自己を疎外することも無いし自己を独断的に孤立

を余儀なくしたということもなかったし、全く充足そのものであった。而し充足した世界にひたひたと寄

せて来る波が暴風の様な味方を得た様な異状性が吾々の身辺に変身を迫ることが近づいている様にも察せ

られる。

                          1984年(昭和59年)5月19日


 「直観」とは旦って経験したことのある「忘れられていた意識内容」を対象の新鮮な刺激によって突如

再生産する意識の覚醒現象である。

                          1984年(昭和59年)5月23日

 
 私が現在まで続けている現象学的構造の世界と云ふ世界構想は哲学的理念に依るのではなく、亦神学的

構想では無い、私自身の純粋にこの自然世界即ち宇宙空間に型成した自然現象の世界形態の内の一微子と

みす科学的に観ても純粋なる分析に依る命題であると自負し得る純粋形而上学であり、而もこれこそ仏法

その他古代中国の碩学の間に誕生したとみられる禅思想の純粋なる結晶体であると確信するものである。

                          1984年(昭和59年)5月28日


   禅学と個性
 
 平等と差別を追究し得た禅者に「個性」は如何と考えられることも有り得るが、これは「悟り」の構造

を確認するまでに至らぬ單なる考えに終始している境にある人々の考えすぎであって、禅者は如何なる境

に於いても「人間」であり自然的現象の世界の中の実存在であるいわゆる平等的自然の差別的存在現象と

でも云うべき個性がその基体となっている必然に所有する個性差であり、悟入とは無関係なる関係を持っ

ている許りである。事実は前述の如く、自然的現象世界なる宇宙空間に於ける平等を背負う個別であり、

この様な論理を超越した現象の産物とも云うべき個なる差別的因果現象によるもので、その「人間」であ

る禅者の個の特徴となる構造におよぶものでは無いことは禅者の個性が「悟り」の構造上に躍動する禅者

の面目を瞭らかにするものである。

                          1984年(昭和59年)5月29日