昨日弁護士を通して「準備書面」を裁判所に提出しました。これで後は7月10日の控訴審判決を待つの
みです。支援会通信7号の原稿も整い、こちらも後は印刷発送するのみです。
さて、今日は「父北村雨垂とその作品(202)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(202)
原稿日記「風雪」から(その23)
島田虎次氏はその著『朱子学と陽明学』(岩波新書版)の中で福建省泉州府普江県生まれの李卓吾を陽
明学派の左派として細かく書いているが、その中で彼の童心の説が紹介されている。それには次の如く記
されているが、それは「識者余のなお童心を脱せざるを咎めらるることなくんば可なり」と、しかしなが
ら童心とは真心である。若し童心を不可なりと為すならば、これ真心を不可なりと為すのである。眞とは
仮りの反対概念である「仮」とは借りること、似而非、虚偽、要するに本ものでないニセを云う。童心な
るものは仮とは無縁にして純粋に眞なるもの(絶仮純眞)、最初の一念の本心である。
― 雨註:西田幾多郎著『善の研究』に於いての純粋意識に相当
「もしも童心を失うならば、とりもなおさず眞心を失うのであり、眞心を失うならば、とりもなおさず
眞人たることを失うのである。人にして眞にあらざれば、もはや全然「初」を有せざるものと云わねばな
らぬ。童子は人の初、童心は心の初というものが、一体失われてよいものであらうか」。以下略。
「この言説は(胡然而遽失)ふいと失われる蓋し最初は聞見が耳目から入って来てうちの主となる。か
くて童心が失われる。長じては道理が聞見に乗じて入って来てうちの主となる。 ― (客観から意識が
主観へと展開する。雨註) ― かくて童心が失われる久しきに及ぶと道理と聞見と日々にますます多
く、従って知るところ、日々に益々広くなり、ここに於いてさらに美名の好むべきを知って ― (雨
註:欲望が深まる) ― それを揚げようと意欲するようになる。かくて童心が失われる」
この「眞人」は臨済義玄が示象の際等によく口にした「無位の眞人」「無依の道人」等にしばしばでて
来る語であるが、そこに李卓吾の童心説がぴったり当てはまる事に私は重大な関心がある。それは達磨以
来禅者が究極の境地なる「悟り」の眞型をことごとく表現(表象)しているからである。故にこの李卓吾
のこの一節は私にとって千金の重みがあると断言してはばからぬ。ここで老婆心ながら西田幾多郎著『善
の研究』を読むことを特におすすめする。
1984年(昭和59年)10月22日
西と東の哲学態度
西欧の哲学者達は一様に個なるミクロ即ち単子の場からマクロの世界即ち宇宙的世界を観ようとする
が、禅を主体とする東洋の世界観は全なる即ちマクロの世界、宇宙的世界から個即ちミクロなる単子なる
ことを自覚する即ち省につとめる。
1984年(昭和56年)10月28日
禅学すると云うことは緒論的に云えば、個の生死に超脱する境えと学修することであってその外の何も
のでも無いと云うことである。
1984年(昭和59年)10月28日
西欧哲学者はミクロの世界即ち単子からマクロの世界つまり宇宙的世界を観ようとするが、東洋の禅を
はじめ老荘等の思想を中心としたマクロの世界からミクロなる個を観ることに注目した。即ち個から全へ
ではなく全から個を観ようと心掛けた。即ち全なるマクロの世界即ち宇宙世界からから個即ちミクロの世
界を現象学的に内省の働きを用いてそれを観た ― ここに省することは修であり行で省を抽出すること
に成功した。これが即ち個の自覚的場所(西田哲学)を基体として一応の成功した。言葉を換えて云え
ば、自己を疎外することによって自己を対象として客観 ―自省― する行為の場を求めることである。
1984年(昭和59年)11月2日