なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(191)

 今日は「父北村雨垂とその作品(191)」を掲載します。 


                父北村雨垂とその作品(191)
  
  原稿日記「風雪」から(その12)

 
 宇宙の何処を探しても
 
 神と仏の占める
 
 空間も時間もない
 
 宇宙の何処を探しても
 
 点と線の占める
 
 空間も時間もない
 
 何故に神も仏も
 
 私の持っている確かな宇宙に
 
 存在を誇示しないのであらう
 
 それは
 
 点と線とがひそかに笑って
 
 語りあおうとしないからであらう
 
 人間という生きものは
 
 知恵という無形の道具を
 
 善悪の天秤にかけて
 
 みようとしないからであらう


 松浪信三郎教授(早大)が岩波新書版『実存主義』についても云っている様に(p.74~p.75)ニーチェ

ニヒリズムのニヒルニーチェの祖国ドイツ語であり、その源泉がラテン語を母体とする「無」であ

り、それが意味をも含めた即ち『無意味』を含蓄する表象である事に吾人が常用するに当たっての注意が

絶対必要であり、殊にツアラストラーを理解する為には注目しておかなければならないであらう。


  時計も屋根も 神や仏には遺らぬ


  心経に 点が鳴ったが 森に鉦(かね)
 
                          1984年(昭和59年)1月31日


 ニーチェは個なる一人として確かに世界の内に実存として存在を把握していたが、その個自体のニーチ

ェは世界内存在と同時にその彼の純粋意識を覚醒させた客観とその時間的無間隔に行動する意識の働きに

よる主観への移動に気づかなかったこと、ノエマとしてのノイエシスなる行動があたかも宿命の如くに方

向を斯くの如く指向したことは天才ニーチェの為めに眞に残念であると云う外に云ひようが無いと、私は

考えるものである。
                           1984年(昭和59年)1月31日

実存主義生存者の意識が生成する絶対的形而上学』これは私ガキルケゴールニーチェの表白から、亦

ヤスパースとその現象学を継承発展せしめるハイディッガーその他の現象学関係の諸学者、実存論者の準

自然的に投企する混迷の世界に対する批判を含めて禅に於ける現象世界的世界の現象の基礎的「眞理観」

即「仏法」と「信」と「行」の同行的一体観によるノエマなる純粋意識を指向しての試みとして表白した

命題である。但しこの深淵を私は私なりに慎重に亦その上に慎重に検討することを約束するつもりであ

る。
                           1984年(昭和59年)2月1日


  健やかな葦の育ちも 折るも 風にて在り


 禅に於ける実存を基盤とする形而上学禅は『修行』による実践を基盤とする形而上学即ちアリストテレ

ス云うところの第一哲学に於いてこの創生(世界)を現象世界的現象の世界としたことは先に度々本「風

雪」に記しておいた。

 臨在義玄と普化との対応は禅文化としては眞に圧巻とでも云えるであらうが、所謂「禅文学」として普

化の存在をその価値評価にゆれ動くものである。即ち師僧から「悟り」の印可を授けた普化の行動機縁と

には吾々にもやや奇矯に過ぐるの感を抱かせる事である。再三も再四も考慮することを要請する用意の必

要を披露して置くことにする。
                          1984年(昭和59年)2月6日



  吾が闇の 深淵(ふち)を ノエマを計り兼ね        1984年(昭和59年)2月11日
  
  鳴りつづく穌とアメリカの頭(くび)に 鐘(かね)、鉦(かね)、       同

  統領の頸には鈴をつけとけ                       同