昨日は、神奈川教区社会委員会主催の「平和集会」が、午後3時から清水ヶ丘教会であり、猛暑の中私
も参加しました。講演は、「東アジアの平和と日本国憲法~歴史認識と自民党改憲草案」という題で、関
東学院大学経済学部教授の林博史さんがしてくれました。講師は、A410頁のレジュメにA32枚のグラ
フ等の資料を用意してこられ、資料に基づいた綿密な話をしてくれました。今問題になっています集団的
自衛権については、本来中小国による集団的自衛権が問題であってのに、これまで集団的自衛権が行使さ
れた9件の事例のすべてがアメリカやソ連という大国による武力介入であることも、勉強不足の私にはは
じめてでした。この平和集会では、毎回集会後デモをします。今年はコースが変わりました。京急南太田
駅前から桜木町方面に向かう道路を黄金町(初音町)交差点まで歩き、そこを右折してしばらく歩き左折
してイセザキモールを関内方面に歩いて有隣堂前で解散というコースです。2キロ強ということでした
が、幸い集会が終わった頃には曇り空になっていて、直射日光を浴びることなく、また予報にあった雨に
も合わずに、総勢40名くらいだったでしょうか、歩き通すことができました。その後有志で横浜に出て飲
み会があり、私も最後まで参加して、鶴巻に着いたのは午後10時頃でした。
さて、今日は「父北村雨垂とその作品(213)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(213)
原稿日記「風雪」から(その32)
記憶は意識であるアルとベルグソンは云う。それは眞に確かであるが、今少しくそれに続けて云えば意
識の休眠時間即ち空間(意識の空間時間型)であり、忘却はその空間に於いての時間との消滅であり、空
間の自然的型態による死亡と考えたらよい。
1985年(昭和60年)8月4日
レポートより採取1985年(昭和60年)9月12日 雨垂
プラトンとアリストテレス以来のイデア、ノエマ、ノエシス、或はモナド等々の表現は、結局個即ち身
体を基体とした個の自発的意識による自然現象であり、 の世界意志、ニーチェの権力意志など
も多分にこの現象の躍動が伺われる。
1985年(昭和60年)9月12日
禅者の「悟り」に於ける世界観が内包する矛盾に就いては禅者自身の反省を基体とする認識即ちその意
識現象に矛盾容認の先験的意志の働きがある。それは物理科学に於けるアインシュタインの相対性原理や
量子力学等に観られる矛盾肯定の意識に相似する論理型態を持つものと私は考える。
1985年(昭和60年)9月12日 雨
勝負の世界に豊かな香気を放つ同情の開花を待つことは不可能であることに可能を期待することと等し
い愚者の夢想である。
1985年(昭和60年)9月19日 雨垂
禅は個を現象として宇宙空間を場とした世界に基盤を置き、そこから思考した。哲学は殊に西欧哲学は
宇宙空間を対象とした世界の中の個として世界と共に宇宙空間を思考した。その表われが両者の行路を大
きく隔離した礎因となっている。
1985年(昭和60年)9月21日
哲学は「神」や「仏」を現象を先駆とした分析的思考に於いてそれらを対象化するが、禅に於いては、
(それはその源泉からみて当然のことながら)禅者自体がその経典に内観的につまり体験的に、つまり修
行的に実存の世界を感得する。故に哲学者は現象学的分析による世界を―世界内存在としてもその内から
観ることを少なくも精神面に於いては行使することなく、客観的 ―これがアリストテレス以来の思潮で
ある― に處理しようと構想するところに即ち性格的に異なる結論に導かれることになる。それは仏教に
限らず宗教として完成されたキリスト教に於いてもすべての懺悔録にみてもそれがよく証明されている。
1985年(昭和60年)9月25日
この点に於いては親鸞、一遍上人等経義や行為に於いてもいささか相異感を抱かせない事実からも考え
られる「信心の構造」である。
1985年(昭和60年)9月25日
かまきりの根性に 風 ほろほろと「陽」に 1985年(昭和60年)10月2日
小十年 猪口を忘れた 手は辞書を 1985年(昭和60年)9月27日
(注記:父は脳溢血で倒れる前は、毎晩お猪口でお酒を吞んでいましたが、倒れてからはしばらくは何も
できませんでした。数年後に機能が残った右半身で、ベットで起きたり寝たりの半身不随の状態で、この
ブログに掲載している川柳や文章を、古いものをまとめたり新しく書いたりして、十数年過ごしました。
上記の句には、そんな父の晩年が描かれているように思われます。)
年輪(とし)や存(?)る 梵、讃、希羅の辞書等々(などなど) 1985年(昭和60年)9月27日
ならやまの 魂(オニ)と燃えるか 彼岸花 1985年(昭和60年)9月28日