なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教(53)

    マルコ福音書による説教(53)  マルコによる福音書12:35-37、
                  
・先々週の礼拝では、マルコによる福音書12章28-34節のところを学びました。そのところには、神が私たちに示してくれている命に至る道としての、神の掟の第一は、「神を愛すること」。そして第二は、「隣人を自分のように愛すること」。「この二つにまさる掟はほかにはない」ということをめぐって、イエスと律法学者との間で行われた問答が記されていました。そして、その問答では、イエスと律法学者の意見が一致していることが明らかとなっています。

・けれども、「神を愛すること」、そして「隣人を自分のように愛すること」、この二つの神の掟にまさる掟は他にはない、という点で、イエスと律法学者は意見を同じくしながら、具体的な場面では、相反する行動をとっていることを、一、二の例を挙げて学びました。

・一つは、安息日の会堂での出来事です(手の萎えた人の癒し、マルコ3:1以下)。 もう一つは、コルバンの物語です(マルコ7章、神への供え物、父母を敬え~空腹の父母をさしおいて、神への供え物を捧げることで、自分たちは正しいと自認している律法学者をイエスが批判しているところ)。

・今日のところは、律法学者たちとイエスの考え方の違いが、はっきり示されています。しかも、この記事は、神の掟についてひとりの律法学者とイエスが同じ意見であったという記事のすぐ後に続いています。マルコによる福音書では、11章から、イエスは、エルサレムに入城し、受難の出来事が起こる前に、しばらくエルサレム神殿の庭で教えを語ります。12章の終わりまでそれが続き、13章の終末予言があって、14章から受難物語になります。ですから、エルサレム神殿の庭で語られたイエスの教えが、教えを集中的に語るという点では、最後になります。そのところで、マルコはイエスに、律法学者のダビデの子・メシヤ観をわざわざ持ち出させて、そのような律法学者のメシヤ観を批判させているのです。

・今日のところに記されています律法学者のダビデの子・メシヤ観は、イエスの時代のパレスチナユダヤ人民衆の間に広まっていたと言われます。この、ユダヤ人にとってはロ-マ皇帝のような「異教的支配者を打ち砕き、イスラエルに栄光と支配を回復すべきダビデの子メシヤへの期待は、紀元前一世紀中頃にパリサイ派の中で生まれたもの」(『ソロモンの詩編』17章)です。

・マルコが福音書を書いた時には、すでにユダヤキリスト教会もイエスダビデの子と主張していたと思われます。ロ-マの信徒への手紙1章3節以下に、「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」とあります。これも、この手紙を書いたパウロがすでに原始キリスト教会の言い伝えとして引用しているものです。ですから、最初期に誕生したユダヤキリスト教会で、イエスダビデの子孫とし、ダビデの子・メシヤ論をイエスに適用していたのでしょう。また、マタイによる福音書では1章1節から17節にかけてイエス系図が記されています。このイエス系図は、明らかにイエスダビデの子孫とするもので、ダビデの子メシヤ論の影響が明らかです。

・マルコは、このところで、そういうユダヤキリスト教会のイエスのメシヤ観をも批判したのではないかと考えられます。ダビデの子メシヤへの期待には、ダビデ王国の繁栄につながるこの世の栄光と支配が結びついています。それは、マルコが強調するイエスの受難の道とは、相入れません。

・マルコは、すでにイエスの弟子であるゼベダイの子ヤコブヨハネの願い、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人をあなたの左に座らせてください」を、イエスが退けたことを記しています。そして、そのところで、二人のことで腹を立てた他の十人の弟子たちを含めて、弟子たちにイエスがこのように語られたことを記しています。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身の代金として自分の命を献げるために来たのである」(10:42-45)。

・マルコによる福音書では、10章46節以下でバルテマイという盲人が、イエスに出会って、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と、人々の静止をふりきって叫び続ける物語が記されています。その物語では、イエスは、バルテマイの「ダビデの子イエスよ」という叫びを批判してはいません。この「ダビデの子イエスよ」というバルテマイの叫びは、明らかにダビデの子メシヤ論が前提とされているにもかかわらずです。しかし、律法学者たちに対しては批判的です。ダビデ的メシヤへの期待を民衆の間に広めたのは律法学者にある、と言いたいのかも知れません。しかも、そのダビデの子メシア論は、ダビデの子孫からダビデのような政治的な王、征服的な戦士のイメージだったのでしょう。

・今日のところで、イエスは、「どうして律法学者たちは、『メシヤはダビデの子だ』と言うのか、と語った後、詩編110編1節引用しています。詩編ダビデの歌とされていました。その詩編で、ダビデが「主は、わたしの主にお告げになった」と言っているというのです。最初の主は神で、後の主はメシヤです。ですから、「ダビデ自身がメシヤを主と呼んでいるのに、どうしてメシヤがダビデの子なのか」というのです。

・マルコによる福音書では、このようなイエスの教えに「大勢の群衆は喜んで耳を傾けていた」と記されています。バークレーは、「イエスがここでなされたことは、常にそうしようとされたことであった。人々の心から地上の王国の建設者になるような、征服的な戦士・メシアの考えを取り去り、神のしもべである、人々に神の愛をもたらすようなメシアの思想を与えようと求めておられた」と言っています。

・律法学者が民衆に広めていたダビデ・メシア論は、ダビデのような王がイスラエルに現れて、ローマの支配下にあったイエスエル国家の再建を意味していました。このダビデ・メシア論には、イスラエル人の民族主義的な国家主義の匂いが濃厚にありました。イエスは、そこに神のみ心があるとは思えなかったのでしょう。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身の代金として自分の命を献げるために来たのである」とイエスは弟子たちに語っていました。ここでは、イエスは自らを「人の子」と呼んでいます。そして「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身の代金として自分の命を献げるために来たのである」と語っているのです。

・事実マルコによる福音書では、イエスの十字架にかけられて息絶えた時、そのそばにいたローマの百人隊長が、「『本当に、この人は神の子だった』と言った」と記されています。

・イエスは、十字架にかけられて殺されるまで、自分はイスラエルの失われた羊のような人々のために来たと言って、イスラエル人、ユダヤ人の枠の中で活動したと思われます。しかし、イスラエル国家の再建というような民族主義的な考えからは自由だったのではないでしょうか。もし神の国を一つの王国として、イエスがイメージしていたとするならば、この世の中で一番苦しんでいる人、悲しんでいる人を中心に据え、彼ら・彼女らに他のすべての人が仕えるという、現実にはとても実現できそうにはないが、神の支配が成就したときには必ず到来する、私たちにはおとぎ話のような国を思い描いていたのではないでしょうか。

・もしイエスにメシア意識があったとしたならば、上も下もない、すべての人が対等同等で、その与えられた生を喜んで生きて、互いに大切にし合う神の王国の王さまをイメージしていたのでしょう。そのようなイエスを主と告白し、神の国で神の右に座る方としてイエスをメシア・救い主として信じた者が集まって生まれた教会は、イエスを神格化することによって、この世の権力に擦り寄り、イエスがめざしたものとは逆の方向にシフトしていってしまうという過ちを繰り返してきているように思われます。

・昨日は沖縄の慰霊の日でした。沖縄の人々の苦しみ・痛みによって私たちが生活している今の日本の国も社会も支えられていながら、私たちの国も社会も沖縄の方々に議性を強いていることの自覚が余りないように思われます。沖縄の方々はそのようなヤマトの人である私たちをどのように思っているのでしょうか。イエスご自身が身を持って示された「仕え」の道は、沖縄の方々との関わりの中でどのようものなのかをよく考えながら、私たちの与えられた場でイエスの背中を見ながら歩み続けたいと思います。そのような私たちに神に霊が豊かに注がれますように。