なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

「わたしはフェミニスト神学によっていかに解放されたか」発題

 神奈川教区には有志による「フェミニスト神学の会」があり、毎年夏に一泊二日の集会を持っています。私は1995年に紅葉坂教会の牧師として横浜に帰ってきてから、このフェミニスト神学の会には、他に予定がない時には必ず参加しています。昨年は船越教会を会場にしてこの会が行われました。今年も会場は船越教会に決まっています。

 さて、2004年のフェミニスト神学の会で、「わたしはフェミニスト神学によっていかに解放されたか」というテーマで、私は発題者の一人になりました。その時の発題のレジュメを、今日は掲載します。


       第22回フェミニスト神学の会  発題 北村慈郎    2004/8/26-27 

 0、はじめに、

 「わたしはフェミニスト神学によっていかに解放されたか」ということで話すように言われたが、「フェミニスト神学」によって自分が解放されたという実感は余りない。むしろ聖書特に福音書のイエス物語からの触発とフェミニズム(性差別を問う)運動(=特に連れ合い)からの問題提起によって、自分が問われ変えられてきたということはあるように思う。従って、今回の私の発題もフェミニスト神学という枠 組みを余り意識しないで話してみたい。
 身体で生きるよりも過大な頭で生きる己があることをお断りしておく。

 1-0、結婚を契機にしての自分史

 1967年に結婚                   連れ合い23歳、私  25歳
 1969年4月女児誕生、4月最初の任地A教会           25     27
  (70年代リブ運動―社会変革が女性差別を黙認する矛盾)
 1970年11月男児誕生                    26     28
 1973年6月男児誕生                     29     31
 1974年4月M教会                      30     32
 1977年4月G教会                      33     35
  (80年代初めからフェミニズム運動)
 1995年4月M教会                      51     53

1-1、1980年代はじめまでは殆ど無自覚的、

 夫婦間の軋轢の中で問題にぶつかっていた時期。
この間は連れ合いの我慢が爆発して彼女の痛みに気づかされるという繰り返し。ただ彼女の痛みが男である私の性差別からのものだけであったわけではない。人間的な傲慢、無理解からのものも多かったと思われる。
 自分のセクシュアリティは伝統的(?)。ジェンダーは二分法に支配されなかった。結婚する前から母が病気・死で家事労働の経験が多少あったこと。結婚して2年間は彼女が働いて私は学生。最初の任地は下町でジェンダーの二分法が当てはまらない夫婦関係のケースが多かったこと、また、私たちも殆ど共働きに近かったこともある。
 1977年4月から1982年頃までは、私の収入、連れ合いは専業主婦。
 
 2、1983年から

 G教会時代に「共生と自立(隣人の発見―出会いー変容―共生(共労)」を教会の宣教方針に掲げる。イエスの出来事を人間の全的解放への招き(すべての人間は差異において対等同等)として把え、障がい者差別、在日韓国・朝鮮人差別、寄せ場、子供の問題から我々の共生と自立を模索する。けれども、前記の諸問題へのアプローチが観念的であったということもあり、自分の問題になかなかなり得ないという壁にぶつかり、性差別の問題は「女」であり「男」であるすべての人にとって逃げられない自分の問題であるということから、その延長線上で教会の課題とする。

 Yさんから教会における女性の問題に気づかされる(G教会の婦人会はその後女性の会へ名称変更)。大島かおり(『モモ』翻訳者)さんから、仕事を持ちながら、よき妻、嫁、母を演じる自分が健康を損ない、ジェンダー役割からの解放を経て自立へという個人史を聞いて、ジェンダーがもつ問題性に気づかされる。荒井献さん、山口里子さん、横田幸子さん等からフェミニスト神学[女性の経験から聖書を読む]を学ぶ。フオレンツアの『彼女を記念して』を読んで初期キリスト教の再構築という問題提起を受ける。

 G教会時代には、性差別の問題を取り上げてしばらくしたら、女性の解放をめざすフェミニズム、ないしはフェミニズム神学を教会の中で課題として自らと他者を問う方向に対してある種の拒絶感が女性の中から強く出て来た。人間としての解放をめざし自立し連帯するということの難しさを感じた。解放を求める厳しさに耐えられず、偽りの安定であってもそこに居直ることを我々は選び易い。その結果自分と他者の痛みに鈍感になり、痛みに傷つく人を放置し、差別を温存してしまう。

 3、1995年から、

 M教会に来てからフェミニスト神学の会には何かなければ必ず出ている。性差別問題特別委員会の集会には時々出席。連れ合いがここ数年女性会議に参加したりして、問題意識が鮮明になりつつあるかも? そうなってくることによって、夫婦間のトラブルが少なくなってきたように思われる(単純に年を取ったせいか?)。

 依存関係がある場合には、他者の行動が過度に気になり、何でも知りたがる。また自分がやってあげているという意識から、こんなにやっているのにという不満がたまり易い。夫婦一体幻想に捕われ易い。それぞれが自立し自分の課題をもって歩んでいる場合は、それぞれの要求をはっきり言い、調整がし易い。また課題をもって歩むことによって、その課題をめぐっての内容的な話し合いができ、相互理解が深まる。
 これは夫婦関係に限らず対幻想一般に関わることかもしれない。

 4、男とは、女とは?  創世記の人間創造物語[神は男と女を造った]

 婚姻・家族(親・子関係)
 セクシュアリティ・・ヘテロセクシズム[異性愛主義]
   (自分の中でセクシュアリティの解放はジェンダーの解放ほどではない。偏見(抑圧、偏見に対す    るIさんの質問を受けて、抑圧にした方がよかったと気づく)が強いように思われる。
 未来の可能性[橋爪:「性愛世界の彼岸」参照]
  
5、おわりに、

 性差別の反差別運動と共に、それぞれ各人の中で社会的な基準を脱構築して他者の抑圧者にならずに一人の人間としていかに自分らしく生きられるかが課題ではないか。そのことが他者が他者らしく生きることに通底するような生き方であり、そこに解放があるように思われる。