なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(63)

船越通信癸僑魁  。横娃隠嫁6月24日         

・6月17日の日曜日の礼拝の出席者は、この日は礼拝に来れないと連絡を受けていた方も多く、それぞれ役割を与えられた4人だけでした。私が昨年4月に船越教会に来てからの礼拝では、最も少ない人数でした。けれども、礼拝は何時ものように初めから終わりまで同じように守りました。

・この日は午後2時から横浜本郷台伝道所で佐野匡牧師の牧師就任式があり、私は出席することにしていました。船越教会にとっても、横浜本郷台伝道所を開拓伝道されて、約7年前に帰天された依田俊作牧師には生前お世話になりましたし、その後横浜本郷台伝道所の牧師として俊作牧師を引き継いで働いて来られた依田康子牧師が隠退して佐野匡牧師に変わるということですので、個人的にも出席しようと思っていました。船越教会からお祝いを託されて、12時45分頃船越教会を出て横浜本郷台伝道所に向かいました。京急田浦から新杉田へ出て、少し歩きJRに乗り換えて本郷台まで行きました。横浜本郷台教会には大分前に行ったことはありましたので、駅から教会まで迷わずに行くことができました。ちょうど2時少し前に着きました。岩崎隆教区議長の司式で佐野匡牧師の就任式が行われました。出席者は横浜本郷台伝道所と関係教会でもあり、また佐野匡牧師の出身教会でもある横浜港南台教会の方々が多くお祝いに来ていました。その中に横浜港南台教会が教区の開拓伝道として約30年前に出発した当初から、近くに住居のあった当時紅葉坂教会の信徒の方で横浜港南台教会に転会されたMさんがいらっしゃっていました。就任式とお茶の会が終り、帰りはMさんと一緒になり、近況報告を伺いながら洋光台駅で別れました。その後私は船越教会に戻り、鶴巻に帰る準備をして6時前に船越教会を出て鶴巻に向かいました。

・私の裁判は、6月25日に双方の弁護士と裁判官だけで準備手続きが行われます。そのために弁護団で「準備書面(2)」を用意し、既に裁判所へ提出しました。その前に原告である私の訴状に対する被告教団の答弁書で、認否がはっきりしない部分に対して「被告に対する求釈明」書を出してあります。数日前にそれに対する被告教団側からの「準備書面(2)」が弁護士から届きました。少しずつですが私の裁判も動いております。4月26日の第一回口頭弁論と報告集会の記事を中心に支援会通信第2号が出来上がり、すでに支援して下さっている方々へは発送してあります。礼拝堂の後方のテーブルに献金依頼等の諸文書が置かれていますが、そこに通信2号も置いておきますので、必要な方は自由にお取り下さい。

・21日(木)には、辺野古新基地反対国会前座り込みに、木曜日にいつも参加している連れ合いが神奈川教区西湘南地区の婦人集会に行くので、代わりに私が参加しました。この国会前座り込みは毎週月曜と木曜午後1時ごろから4時ごろまで行っています。この日は雨が降りそうでしたので、いつも用具出しをしてくださる方の一人がお休みで、もう一人の方が用具もほとんど持たないで行こうとされていましたが、私が来たからと言って、いつもの用具をもって議員会館前の座り込みの場所に行きました。するとその場所にもう一人の方が来ていて、一緒に座り込みの準備をしました。道路を通る人にアッピールするツールを整えて、小さな携帯用の椅子に座ります。1時間ほどして何時も来る最年長の女性も来ました。他に1人加わり、この日座り込んだ人は総勢5名になりました。4人は女性で、男は私一人でした。沖縄では県議会選挙が終り、6月23日の慰霊の日を迎えております。Tさんが聖公会の教会が主催する沖縄ツアーに参加し、平和行進をしてくると言って、沖縄に行っています。原発再稼働の裏に日本の国が核兵器所有の目論見を隠しているように思われてなりませんが、沖縄における米軍基地強化も、アメリカ側の強い要請というだけでなく、何れアメリカが世界の警察から降りて、アジアからも米軍を撤退させるようになったときには、日本の自衛隊が米軍に代わるということを、権力の側はどこかで考えているのかも知れません。また、そこには利権がからまっており、原子力村という構造が無化されないと、脱原発が不可能であるのと同じような問題が基地問題にもあるように思われます。世界平和を求める崇高な理念を持ち、憲法9条を堅持する日本の平和憲法の精神を活かす政治家が育つような日本社会を創造したいと願いますが、その道のりはまだまだとても遠くに思われます。ただ希望だけは持ち続けたいと思っています。

・21日(木)夜には、船越教会の聖書研究会がありました。上村静さんの『旧約聖書新約聖書~「聖書」とは何か』の序章を参加者5人で読みました。

・〈「旧約聖書」と「新約聖書」とは何かを理解するためには、ユダヤ教キリスト教という二つの宗教の関係を知らなければならない〉。〈キリスト教と呼ばれる宗教は、もともとユダヤ教の一派であった〉。〈もともとユダヤ教の聖書は、神との民の契約がその中心となっている。この契約の内容は、「選民と律法」である。…キリスト派が自分たち独自の契約を「新しい契約」としたために、もともとのユダヤ教の契約が「旧い契約」とされたのである〉。〈キリスト派はもはやユダヤ教の一派ではなくなった。こうしてキリスト派は、ユダヤ教から分離してキリスト教になった〉。〈「新しい契約」を認めないユダヤ人にとっては、従来のユダヤ教の契約は今なお有効であり、「旧約」ではない〉。〈すでに終わり無効とされたユダヤ教の契約にも拘らず、「旧約聖書」をキリスト教は「聖書」の一部としているのか。キリスト教ユダヤ教の土台の上に成り立っているという事情による〉。〈キリスト教ユダヤ教を否定しながらユダヤ教によって自らの存在を証明いてもらっている〉。そこに〈キリスト教反ユダヤ主義の根源〉がある。〈「正典」とは、「正統派」を正統化するための「使徒的」なる権威づけであり、教会内分派を「異端」として、「異端」の生み出した書物を「外典」として排斥する政治的暴力の結果である〉。

・一部上村さんの本より抜き書きしてみましたが、論旨と表現が単刀直入で、気持ちよくありませんか。