なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(465)

 8月30日(日)は私の夏期休暇でしたので、説教も船越通信もありません。これですべてです。 

 

船越通信、№465 2020年8月23日 北村慈郎

・   16日(日)は大変暑い日曜日でした。予定ではこの日S先生に説教をお願いしていましたが、コロナ感染再拡大もあって、2週間前に先生に連絡して、コロナの感染が落ち着いてからに延期してもらっていました。この日の厳しい暑さを実際に体験して、延期しておいてよかったと思いました。

・   この日の礼拝に久しぶりに出席された、以前紅葉坂教会で一緒だったOさんは、礼拝後私の説教の声が聞こえにくく、元気がないように感じられたようで、健康を心配してくれました。実はこの日はいつもより前夜の睡眠時間が大分短く、3時間ぐらいでしかも、日曜日の午前1時半に起きて準備をしてそのまま講壇に立ったので、それが声などに影響したようです。最近は土曜日夜5-6時間は寝るようにしています。若い時は徹夜もしばしばでしたが、今は年を取って、そういうわけにはいかなくなりました。かと言って、習慣になっています説教準備を前倒しにしてと思うのですが、それもなかなか難しいのが現状です。

・   この日の礼拝出席者は8人でしたが、お二人は礼拝後すぐに帰られて、残った6人で午後1時頃まで懇談しました。久しぶりの懇談でしたので、話が尽きずに長くなりましたが、終わってから、お互いの会話で結構飛沫が飛んだでしょうから、気を付けなければと思いました。このところ会食での感染が多くなっているように報道されています。私たちは大丈夫という安心は危険ではないかと思いますので、今後気をつけたいと思います。

・   皆さんが帰った後、次週の準備をして午後2時過ぎに船越教会から鶴巻に向かいました。寝不足もあり、京急田浦から京急普通に乗り、金沢八景で特急に乗り換えて横浜まで行き、横浜で相模鉄道に乗り換えるのですが、寝ていて気が付いたら京急横浜駅で、かろうじて降りることが出来ました。何とか午後4時過ぎに鶴巻のマンションに帰ることが出来ました。

・   8月3日で連れ合いの千賀が帰天して5か月になりましたので、今後もコロナ感染の終息が期待できないため、予定していたお別れ会は諦めることにしました。何れコロナの問題が落ち着いてから、恐らく数年先になるかと思いますが、記念会を行うことにしました。お別れ会に来ていただいた方にと思い、生前千賀が関わっていたNPO法人レスパイトケアサーヴィス萌の機関紙巻頭言に彼女が書いた小文をまとめて、「もう充分、感謝」という小さな記念誌を作りました。巻頭言はPDFにし、直腸がん発覚からの彼女の療養生活と彼女の略歴を私がまとめ、彼女の死の様子を彼女の死の直後娘が彼女のフェイスブックに投降した文章がありましたので、それと他に療養中の彼女の写真と家族だけでした密葬の写真を加えて、娘が編集してくれました。それが8月10日には刷り上がって家に届きました。感謝の気持ちを添えて、お別れ会は無しにし数年後の記念会にするというお知らせを、お交わりをいただいた方々に8月25日以降に出す予定にしています。ただNPO法人萌と数名の方々には、記念誌が家に届いてすぐに送りました。その中の一人はS先生でしたが、S先生からはさっそくお葉書をいただきました。そのお葉書の一節にはこのように記されていました。「千賀様の略歴を拝見して、改めて千賀様の苦難の生い立ちを知り、戦争の痛みを負っておられたことを知りました。更に「萌」の文章の鮮やか、明るさにとても教えられています。よくぞこの文章を残しておかれました。何よりの尊とい遺産だと思います」。このように言っていただいて、本人は望んでいたかどうかわかりませんが、千賀の記念誌を作ってよかったと思っています。

・   18日(火)朝地下鉄センター南下駅近くに住んでいる私の下の姉の姪から電話があり、私の上の姉が入っている墓が伊勢原のお寺にあるのですが、今日か明日私の方の都合に合わせてお墓参りに行きたいが、どうかと言うので、今日でも大丈夫だと答えました。下の姉と姪が車でお昼少し前に鶴巻のマンションまで来てくれましたので、鶴巻に来ていた娘も一緒に、4人で伊勢原のお寺に行って上の姉のお墓参りをしました。そのお寺は、上の姉たち家族のお骨が入っている墓地には、上の姉の連れ合いの独り身の亡くなった妹のお骨は、一度その家から出たのだから一緒にはできないというので、お寺の入り口近くに造られた慰霊塔に同じような境遇の方々と一緒に入っていました。下の姉たちはそこにもお線香を供えたので、私も娘も同じようにしました。上の姉のお墓に供えるお花は、娘が頼まれて用意しましたが、慰霊塔の方までは聞いていなかったので、慰霊塔の方は線香だけでした。後日娘は母親の写真の前に飾る花を買いに、自転車で朝つゆ広場というところに行った時に、そこから上の姉のお墓のあるお寺はそう遠くないので、可愛そうなので慰霊塔にもお花を供えて来たと言っていました。私は娘のそういう所は連れ合いによく似ていると思いました。

・   先日書棚に雑然と置かれていた一冊の本を偶然手にして、久しぶりに一気に読了しました。その本は『キリスト教以前のイエス』(アルバート・ノーラン著、篠崎栄訳、新生社、1994年)です。解放の神学の流れのものと思われますが、本には線が全くありませんでしたので、この本を私は買っただけで読んでいなかったのかもしれません。この本を読んでもう一度解放の神学について、自分の手元にある本を読み直しながら考えてみたいと思いました。それは解放の神学を振りかざすというのではなく、解放の神学のモチーフを、社会的に貧しく弱くされているとは言えない私たちの教会において、どのように生かすことができるのか。以前に読んだ『富める社会と解放の神学―中流階層の教会のために』(C・H ベイヤー著、山下慶親訳、1990年)も、アメリカの教会ですが、私と同じ問題意識から解放の神学を問題にしていたと思います。私の『自立と共生の場としての教会』も、同じ問題意識からまとめたものですが、この本は私の牧会経験に基づいて書いたもので、解放の神学との対話はしていません。コロナのことで外出や人に会う機会が少なくなり、家にいて怠惰になりがちですので、私の残された時間の一つの課題にしたいと思いました。