なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(60)

          船越通信癸僑亜  。横娃隠嫁6月3日          

・5月27日はペンテコステの礼拝でした。礼拝説教では、何時ものマルコ福音書ではなくコリントの信徒への手紙二、3章をテキストにしました。「主の霊のおられるところに自由がある」というパウロの言葉に焦点を当てて話しました。その説教の最後のところで、アベ・ピエールに触れて以下のようにお話ししました。

・私は日雇い労働者や野宿者の支援に関わるようになってから、ある時、フランスのカトリックの司祭でアベ・ピエールという人のことを知り、アベ・ピエールに関心を持つようになりました。最近この人が2007年94歳で亡くなる前に、宗教ジャーナリストとの対話をまとめた本が日本語に翻訳されて、「本のひろば」というキリスト教関係の書評誌で紹介されていました。『神に異をとなえる者』という題だそうですが、原題は「(わが)神よ、…なにゆえに?」だそうです。この本も何れ読みたいと思っています。私はアベ・ピエールの『遺言』という題の本を読んだことがあります。

・アベ・ピエールは、カトリックの司祭ですが、国際的な互助組織エマウスの創立者として著名な人です。エマウスの運動は、それぞれの家庭で使わなくなった品物を集めてそれを売って資金にし、ホームレスの支援にしています。フランスではエマウスと書かれた自動車が走っているのをよく見かけると言われますが、いわゆるリサイクルの仕事にホームレスの人たちが携わり、自立した生活をめざしているのだと思います。エマウスの家がいろいろなところにあり、その家には元ホームレスの人や日雇い労働者の人が働いているのだと思います。アベ・ピエールは戦後フランスで国会議員にもなった人のようですが、ある時ホームレスの人と一緒に空いているビルを占拠して、国にホームレス支援を訴えたというのです。フランスでは、何十年にもわたって「(国民に)最も愛される有名人」の一位に選ばれ続けて人だとも言われています。

・『遺言』という本を読んだ時にも感じたのですが、アベ・ピエールは、本当に自由な人で、社会に対してもおかしいことはおかしいと率直に言い、おかしなことは変えていくために行動していく人です。それが深い信仰によって裏打ちされている人ではないかと思われます。

・上記の「本のひろば」でアベ・ピエールの本の紹介を書いている木崎さと子さんは、「この書が編まれた時点で93歳だった彼は、結果として死を目前にしていたわけだが、それを予感するまでもなく、少年時代から神のもと行く日を本気で楽しみにしていた彼は、〈愛〉のみがこの苦しみにみちた世界を生きながらえさせる力であると極限的にまでつよく実感していたのだろう」と書いています。さらに「彼が説く愛は甘いばかりではない、ときには人を幸福からさえ遠ざける。しかし、素晴らしいのは、あくまで、“人間”の愛であることだ。イエスの愛も人間の愛だ、イエスは人間としてお生まれになったのだから、という確信が彼を貫いている。そして、さらに素晴らしいのは、人間であることに神秘を重ね、それが現実と結びついていることだ」と書いていいます。

・「主の霊のおられるところ自由がある」とは、その自由を享受した者が神と共に、隣人である他者と共に、「イエスのことなど考えずに、イエスのようになるということではないか」(佐藤研)と思います。

・今日は聖霊降臨日ですが、イエスを裏切って悶々として弟子たちが、聖霊を受けてイエスの弟子として新たに生き始めたことを想い起したいと思います。

・5月29日(火)にはシャワーの会(路上生活者のパトロール)があり、私は朝鶴巻から京急久里浜まで行き、そこでSさんが運転する自動車を待ちました。SさんとKさんと私とで久里浜から横須賀にかけての公園と、横須賀中央駅近辺と横須賀中央図書館他を巡回しました。10名の当事者に会いました。私は当事者の方は顔見知りの人がいいだろうと思い、出来るだけSさんとKさんにパトロールをお願いし、自動車に残って自動車の番をするようにしました。横須賀中央近辺で会った一人の方のことを、あの方は路上生活が長いのですかとKさんに聞きましたら、相当長い方で、対人関係が苦手で路上生活者になっているようだということでした。横須賀中央近辺は、横浜の関内程ではありませんが繁華街もあり、匿名者として存在できる許容度があるのでしょう。寿町の中にも対人関係が苦手の人がいるように思われます。寿は、他者からの干渉を受けないでも安心していられる場所という一面があるからでしょう。他者からの抑圧を受けないで人間が自由に暮らせる場所は、社会の中に余りないのかも知れません。それぞれの命と生活が守られて、その人がその人らしく生きていける社会の実現は至難の課題ですが、そのような社会の到来という夢を捨てないで、追い続けていいきたいと思います。路上生活者のパトロールに参加するたびに、そのことを繰り返し思わされています。

・シャワーの会が終わって、京急逸見駅前でお二人と別れ、私はその足で教区事務所に行きました。かながわ明日の教団を考える会として6月30日の教区総会に秋の教団総会議案として出す3つの議案(私の戒規免職撤回議案、聖餐を論議する場を設定する議案、教区総会決議議案を事前整理なしに教団総会議案にする議案)を提出することになっています。それぞれの議案を6月5日の常置委員会に諮ってもらい、常置委員会提案として教区総会にかけてもらえないか、役員会に議案を見てもらうために教区事務所に議案を届けました。

・4月から5月にかけて教団の諸教区では教区総会が開かれます。今年も既に神奈川教区(6月30日開催)を残して、他のすべての教区総会が終わりましたが、各教区で選ばれた教団総会議員の構成は前回とほとんど変わらないように思われます。