キリスト新聞(2012年6月9日発行)3面に私の裁判の記事が載りました。以下紹介します。
表題 《日基教団「北村裁判」第1回口頭弁論 双方の主張かみ合わず》
未受洗者への配餐を理由に日本基督教団(山北宣久総会議長・当時)から免職の戒規処分を受けた北村慈郎氏(前紅葉坂教会牧師)が、免職の無効と地位確認および1千万円の慰謝料を求めて提訴した裁判で、4月26日、第1回口頭弁論が東京地裁で開かれた。教団関係者らが傍聴席を埋める中、被告側の席には現教団議長の石橋秀雄氏(越谷教会牧師)の姿も見られた。
原告の北村氏は、1人の信徒の死を機に「信仰とは、教会とは何か」と問われ、一度は牧師を辞そうと考えたが、「『最も小さくされた人』と共に歩んだイエスに倣う」ことを決意。3期6年、常議員を務めながら「教団の将来を考え、誠実に務めを果たしてきた」とし、「考えの違う者を、無理なやり方で切り捨てて排除することは許されない」「強権的に教師籍を剥奪し、教団からわたしの存在と記憶を抹殺しようとしている」と主張した。
さらに「意見の相違は教団内で議論し、建設的に克服していくべきで」とした上で、「教団内で解決すべく努力したが、やむなく公正な司法の判断をいただきたく提訴した」と経緯を説明した。同氏の免職に ついては、撤回を求める署名が6千人分集まったという。
原告代理人は裁判の争点について、「『開かれた』聖餐について教義上の是非を問うものではない」と強調。「牧師も人間であり、憲法によって個人の尊厳が守られなければならない」と訴えた。
これに対し被告代理人は、「裁判の本質は、未受洗者への配餐の是非に尽きる。教憲教規の体系を崩さないために、戒規の執行は当然。極めて信仰的な課題について裁判所に問うこと自体、戦時中と同じ過ちを犯すことになる。これは宗教団体の自立的決定権を守る闘い」と反論。議論は終始かみ合わなかった。
原告の支援者らによる報告集会には約170人が参加。あいさつに立った同会世話人代表の関田寛雄氏(神奈川教区巡回教師)は、「策略的党派主義」の是正と、教団総会の「正常化」を訴えた。
《聖餐の陪餐者に関する件》についての日本基督教団信仰職制委員会での論議について、教団総会報告 書から抜粋して以下記しておきます。
★ 第30回教団総会報告書(1994年4月~1996年3月)
[信仰職制委員会]報告の中に以下のようにあります。
C 主要事項
1、 前期委員会よりの申し送り事項に関する件
9)聖餐の陪餐者に関する件
3、聖餐の陪餐者に関する件
担当委員が、「陪餐問題に関する資料ガイド」の分析による発題をした。その主旨は、
(1)「聖礼典」の本来の豊かな内容を追求し確認することが大切であり、規則や法という問題にすり替 えではならない。
(2)「聖餐とは何か」を教団として共通理解を表明する必要がある、という二点であった。
これを受けて以下の討議をした
(1 )教団としての共通理解を求める作業は是非必要だ。
(2) 教団において聖餐理解が多様化しており、既成事実が進行している。
(3) 補教師の聖礼典執行は、礼典軽視ではなくむしろ重要視しているための決断といえる。教会役員 会の決議をもちろん経ておこなわれている。
(4) 既成事実をそのまま認めることには問題がある。信仰職制委員会として神学的検討に入るべきで ある。
(5) 説教と聖餐の関係がそもそもどのようなものであったかを研究する必要がある。
(6) 陪餐問題についての現状認識をより正確にするためには、「陪餐問題に関する資料ガイド」で扱 われていない部分(諸教会の教会法。教会規則等)についても参考にする必要がある。
次期委員会へ継続することを申し送ることとした。
E 評価と展望
9)聖餐の陪餐者に関する件
標記案件については、担当者の発題を中心にして審議をおこなった。その結果教団としての共通理解をまとめる必要性、緊急性を認めつつも、現実にはなし得なかった。これを次期委員会へ継続とすることを申し送ることとした。
★ 第31回教団総会報告書(1996年4月~1998年3月)
〔信仰職制委員会〕報告の中に以下のようにあります。
C 主要事項
1、前期委員会よりの申し送り事項に関する件
(8) 聖餐の陪餐者に関する件
8、聖餐の陪餐者に関する件
前期委員会からの申し送りを受けて今期委員会でも陪餐者の問題について協議した。礼拝とは何 か、礼拝に招かれているものは誰かについて、実際に具体的な礼拝参加者の現実から考えなければ ならない。洗礼を受けていることはキリスト者のしるしではあるが聖餐にあずかる資格か。聖餐に あずかるものの資格はだれが決めるのか。幼児洗礼は洗礼なのか。堅信礼は洗礼を有効にする手段 なのか。礼拝の参加者の問題を現実の中で考えていかなければならないなどの意見があった。陪餐 者の問題について、これは教団全体の多岐に関わる問題であるので常議員会に戻し、この問題の扱 い方を常議員会で整理するように申し入れ、さらに次期委員会で継続して考えていくよう、申し送 り事項の中に加えることにした。
E 評価と展望
7 聖餐の陪餐者に関する件では、発題と協議の時をもったが充分に議論し結論に導くことはできな かった。陪餐者の問題は教団全体の多岐に関わる問題であり、十分かつ慎重な研究と、多くの合意 が形成される方向とを探るべきであると考える。
★ 第32回教団総会報告書(1998年4月~2000年3月)
〔信仰職制委員会〕報告には、「聖餐の陪餐者に関する件」には一切触れられていません。この総会期の信仰職制委員会は前期委員会の申し送りを無視したことになります。この総会期以降は信仰職制委員会でも常議員会でも「聖餐の陪餐者に関する件」についての議論は引き継がれず、2007年の第36総会期の常議員会で私に聖餐についての発題をさせ、教師退任勧告、そして戒規免職処分ということになりました。
この事実を忘れないでもらいたいと思います。ですから、「キリスト新聞」記事にも載っています第一回口頭弁論における被告代理人の、未受洗者の配餐についての教団における理解は、私には一方的な理解に思われます。少なくとも第30総会期の信仰職制委員会までは「聖餐の陪餐者に関する件」が信仰職制委員会が取り扱う主要事項の一つとして、議論されていたわけです。