なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(8)

父北村雨垂とその作品(8)
 
「私」
 
無象の分裂の無形の結晶の私の意識
分裂の胎児の私の辨証の夢の円環
 
「時間と私」
 
私に分裂が 分裂を姙んで 時間に増減がない
私に分裂が 分裂をころして 時間に増減がない
私に分裂が 有限の時間を 無限の零に 歩いた
私に分裂が 永遠の点の 時間の 停止の期待した
私に分裂が 心臓と時間の對話を 聴いてゐた
私に分裂が 回帰を企で 時間の回帰を 夢にみた
私に分裂が 永遠の現在の 時間を生んで 殺した
私に分裂が 時間の丸い分裂を 心臓と共に 語った
 
「藝術と 私」(この表題の上には鉛筆で「完」と書かれています。)
(この部分には原稿に付加部分多くあります。以下は付加部分をいれたものです。)
 
藝術と私 現実は底邊も 輪郭も ないもの
藝術と私 太陽は 西の果てから 生まれるもの
藝術と私 ほんものの“零”は 分裂して懐胎するもの
藝術と私 分裂が“力”の質量を計算するもの
藝術と私 るつぼの中の 眞理は解体するもの
藝術と私 戦争も平和も 美しく強く否定するもの
藝術と私 点と線の無は分裂が存在を 強張するもの
藝術と私 泣いて笑て孤獨は誕生するもの
 
「神と私」
(この表題の下に鉛筆で「再考」と書かれています。このところも訂正・付加が多くあります。以下は訂正・付加部分をいれたものです。同じテーマのものが後から出てきますので、この部分は習作なのかも知れません。)
 
 神と私 慈悲と無力を 分裂が心臓と共に號泣した
(「號泣した」→「泣いた」に訂正の上「泣いた」に傍線があり?が付されている。)
神と私 黒の欲望と赤の希望を分裂が心臓と共に語った
神と私 暴力の歴史を 存在が心臓に隠れて 描いた(「描いた」に?)
神と私 透明な“力”の衣裳で心臓に描いて空間に隠れた
神と私 燐寸箱ほどの 質量のそのなかの心臓の交合
神と私 重い空白を 時間が心臓と共にあえいだ(「あえいだ」に?)
神と私 変装した奇妙な玩具を 心臓と共に語る
神と私 抽象の存在を楯に 具象の心臓に分裂が抵抗した
 
私の父は、70歳の時、1971年の1月に脳溢血で倒れ、左半身付随でベットの生活を15年続けて天上の人になりました。父が倒れた後、半年間は私たちが、私が東京の足立梅田教会で牧師の働きをしつつ、3歳と0歳の二人の子どもを連れて、戦災で家が全焼したため、戦後建てたバラックに近い横浜の家で、父の世話をしました。産後数ヶ月しか経っていなかった妻は献身的に父の世話をしてくれました。今でも感謝しています。父はその後神奈川県の施設で 七沢にあるリハビリセンターに半年ほど入院しました。しかし、心臓疾患がありリハビリはほとんどできませんでした。その間私の三つ年上の兄が結婚し、兄の家族が七沢から家に帰った父を15年間世話してくれました。
健康だった父と病後の半身不随になった父の落差を感じる、父の言葉があります。「俺は家族の世話になるくらいなら、断食して死ぬ。お前たちには迷惑をかけない。」健康な時、常々父はそう言っていました。しかし、脳溢血で倒れた後は、すっかりその言葉を忘れ去っていて、特に横浜に住んでいる下の姉に、「あの本を買ってきてくれ」とか「ああしろ、こうしろ」と、結構家族を巻き込んで我儘に振る舞っていたようです。私たちは病後半年ほど父の世話をしましたし、教会の仕事があり、19774月からは名古屋でしたので、ほとんど父の要求を聞いていませんが、足家族と下の姉と妹、特に下の姉は父の要求に応えたようです。
私は、中高生時代から青年期にかけて、母が筋萎縮症とう難病で最後の3,4年は全く寝たきりの状態でしたし、上記のような父の晩年のこともありますので、肉体としてある人間の「弱さ」は身にしみて感じています。そういう「弱さ」を含めて他者を受け容れ、大切にし合って共に生きるというテーマは、聖書の教えやイエスのテーマでもあり、私の永遠のテーマでもあります。