今日は、「父北村雨垂とその作品(56)」と掲載します。作品ノートから掲載していますが、下記の句の中にも習作が混じっているように思われます。父の感じているもの、見ているものはなかなか言葉には表現できないもののようです。牧師である私も、聖書の示す福音の現実は私には「語りえぬもの」ですが、その福音の現実にイエスを通して出会っていると信じていますので、「語りえぬもの」を何とか語ろうと苦闘しているわけです。そういう点では、現代川柳という表現手段で語ろうとしている父のその姿勢は、私が説教とう表現手段でイエスの福音を語ろうとしている姿勢と通底しているのかも知れません。
父北村雨垂とその作品(56)
市街(まち)え往くか汝かんまんなる自殺
直情の葦は風をみる鵙の宣言 研
分裂の自覚は36度5分
鍵盤はカオスの自覚を聴いた心臓
化石が海とたわむれているあけぼの
らくだとろばの炎えぬまなざし 研
孤(こ)峯(ほう)の人に変心の雲 研
心臓が現在(いま)が言葉と格闘する 研
驢馬と駱駝の炎えぬ眼差し 研
熱帯魚が歩るく秋を春を銀座
分裂(かくめい)の大地(ふうけい)に死んだ蝸牛(かたつむり)
分裂(かくめい)の大地(ふうけい)に蝸牛(かたつむり)眠り(ねむり) 研
(ねむりかたつむり)
煙突の街でゆっくり自殺する 研
心臓と現在(いま)が格闘したことば
回帰の夢のはるかな無数の砂漠
分裂(かくめい)の大地(ふうけい)にねむる ででむし 研
獅子の尻尾にたわむれている蛇(からみつく蛇)
群集(ろば)の血を吸う資本家(ひる)を吸う政治家(ひる)
驢馬(ろば)の血を吸う蛭を吸う蛭
菊のバッジで蛭(ひる)を吸う蛭(ヒル)
釋迦も死にキリストも死んだ設計図
生死(カオス)だよ悲喜(ドラマ)だよ分裂(だいち)の回帰(ねむり)だよ
ぴよぴよと歩け私の他者(あせ、汗)なる体臭(たまご)