なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信№17

船越通信№17   2011年7月31日     
 
  724日(日)の礼拝後、放射能をさけるための避難場所としてアメリカ人のGさん家族が牧師館を下見に来ました。3歳と5歳の二人のお子さんと日本人のお連れ合いは、Gさんの両親がいるアメリカに避難していて4か月ぶりに日本に帰って来たばかりで、まだ時差ボケの状態が残っているようでした。最近明らかになった三浦半島活断層の危険性もあり、原子力空母のこともあり、お連れ合いへの説明が、船越と今Gさん家族が住んでいる市川とはそんなに変わらないのではという点が強調されたように思いました。また、牧師館には私の荷物が入っているために、その荷物を出すのが大変なような印象を与えたのではないかと思いました。改めて牧師館を借りるかどうか連絡すると言って、Gさんご家族は帰って行かれました。28日の朝、お連れ合いからメールが入り、「ほかを当たる」ということでした。改めて牧師館をお貸しすることのむずかしさを感じました。
  この日の船越教会の礼拝には、名古屋時代の85歳になる信徒のFさんが出席してくれました。Fさんは紅葉坂教会に私がいたときにも、1年に1度くらいは訪ねてきていました。聖書の勉強をよくする方で、特にブルトマンの聖書神学に学び、ブルトマンの人間学の限界を越えて、聖書の人間学的解釈をまとめようとしています。私には、少し時間が出来る状態になったでしょうから、説教集をまとめないかと言われましたが、私は、裁判のこともあるからそれはちょっと難しいと答えておきました。
  724日は午後3時から金沢八景教会の牧師就任式があり、私も出席しました。実は金沢八景教会のK牧師は10日の私の就任式に来て下さっていました。また金沢八景教会、特に既に召されていますが、金沢八景教会の初代の牧師U先生と私の前任の紅葉坂教会とには深い関わりがありますので、そのこともあり出席しました。U牧師はホーリネス出身の方で、戦時下弾圧を受け教会は閉鎖させられ、横浜のある教会に生活の場を与えられ、日曜日の礼拝を紅葉坂に出席しようと来られたとき、ホーリネスへの弾圧が紅葉坂教会に及ぶことを恐れてでしょうが、礼拝出席をお断りしたということがあったそうです。1995年に私が母教会である紅葉坂教会の牧師として横浜に帰って来た時に、故Y牧師から、「北村君、U牧師から話を聞いてみなさい」と言われ、U先生をお訪ねし、2時間くらいお話しをお聞きしたことがありました。U先生は淡々と「今は恨む気持ちはないが、その時は悲しかった」と話されました。そのお話の内容からして、このことは事実に違いないと、私は思わされました。日本基督教団に属する教会の戦争責任は、同じ日本基督教団に属する仲間であるホーリネス系の69部の教会と牧師の切り捨てという問題も含まれるということです。国家の意思が信仰の仲間さえ分断する力を持つということです。イエスが十字架にかからなければならなかったのは、このことと関係しているように思われます。
  724日は午後6時半から紅葉坂教会でかながわ明日の教団を考える会もありました。教区の全教会・伝道所に送られてきた議長声明の中にある「未受洗者配餐をしている教会は速やかに中止してください」ということが問題になりました。このことは神奈川教区形成基本方針にも今までの教区の歴史からも受け入れることはできませんので、かながわ明日の教団を考える会として何らかの意思表示をしていくことになりました。私が原案を作り、調整して8月中には文書で教区の諸教会・伝道所に配布することになりました。また、この会では私の裁判について全面的に支援してくださることになり、支援会の世話人5人(代表S先生)と事務局の方が6人決まりました。
  725日―26日には、藤沢ベテル伝道所のI牧師から誘われて、本田哲郎さんを囲む会に参加しました。そのために26日のシャワーの会(路上生活者のパトロール)には参加できませんでした。7月28日には久しぶりに辺野古新基地建設反対の国会前座り込みにいきました。29日には寿青年ゼミに朝の炊き出し切り込みから夜9時ごろまで参加しました。ということで、24日の週は大変充実した一週間でした。
  724日の日曜礼拝の説教は「宣教の働き」と題して、マルコ福音書320-30節の「ベルゼブル論争」の記事からメッセージを語りました。イエスの活動によって受ける人間の側に相反する二つの態度が明らかになっていきます。この物語でも「イエスが多くの病人を癒されたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せてきた」(3:10)と言われていますように、イエスを求めてくる群衆が一方にいます。この立場の人たちは好意的、積極的にイエスに期待します。しかし、イエスと彼ら・彼女らの間にはある種の躓きがあります。イエスは病気を癒し悪霊を追放しますが、たとえばナルドの香油をイエスに塗った女の物語では、その女を責めた弟子たちに対して「貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでもよい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。この女はできる限りのことをしたのだ」(マルコ14:7,8)と語っています。イエスは病気を癒し悪霊を追放することによって、単なる世界内治療者として活動されたのではありません。死を復活の命に変える方として私たちの所に来られたのです。イエスを狂人扱いした家族の者、特に律法学者らは今ある世界を肯定して生きていましたので、イエスの振る舞いに躓き、イエスを気が狂った者として抑え込もうとしました。彼ら・彼女らもイエスに躓いたのです。イエスの振る舞いは天来の光(神の支配)によることを見失ってはなりません。