なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信№6

 黙想と祈りの夕べ
   (通信№ 6  1999・11・ 7発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」では、多くの方の発言がありました。
 私が、まずその日の聖書の箇所(マタイ福音書18:21-35)の主人に莫大な借金を帳消しにしてもらった僕が、その帰り道でわずかなお金を貸した自分の友人から返済を求め、返してくれなかったからとその友人を獄に入れたという物語についての感想をお話しました。神の赦しの深さ・大きさを思うときに、私たちが他者をどれだけ受け容れているかということです。ちょうど「黙想と祈りの夕べ」の1時間前に紅葉坂教会の障害者差別を繰り返し訴えてくるF兄から電話があり、F兄との関係を考えさせられていたからです。
 続いてM伝道師から、今日は宗教改革記念日ですが、20年前この宗教改革記念日礼拝で自分が洗礼を受けたこと。そして導かれて牧師になっているが、その牧師として自分の中には、自分にも人を差別するところがあるから差別者をも受け入れなければと思う反面、決して差別者を許さないという面があること。そのような葛藤と向かい合いながら牧師を続けて行きたいので、祈ってほしいというお話がありました。
 続いてMさんから、数名の教職と話していたとき、野宿者は自分の生活を解放と感じているのだから、野宿者への支援の働きは野宿者自身には迷惑なのだという趣旨の言葉を、一人の教職から聞いてショックだったこと。しかし、自分は支援の働きは必要だと思っていること。と同時に、自分は野宿者との直接的な関わりはないが、寿と関わっている者として日雇い労働者や野宿者の気持ちをもっと聞かなければと思わされたというお話がありました。彼女がショックを受けた一人の教職の話は、もしかしたらそういう野宿者もいるかもしれませんが、「野宿者は…」と一般化したところに問題があるように思われます。
 さらにCさんは、障害をもつ子どもの母親のためのボランティアに行った時、その母親から聞いた話をしました。そのお母さんはダウン症の赤ちゃんをある所で託児に預けたら、あなたの子は次からは預かれませんと言われて、その子と自分たちの将来を考えて落ち込んでしまったということです。障害をもつ子が生まれ、その子を育てることそのものが重いことであるのに、そのような人がさらに周りの人の態度や言葉によって傷つけられるということです。周りの人々や社会が、この母親を傷つける態度や言葉ではなく、希望を与える態度や言葉を与えられたらと願わずにおれません。私たちは、そのことを祈り求めて行きたいと思います。
 前回Nさんから企業のリストラと過労の問題が出されましたが、その時Nさんは、そのような企業の倫理観は戦前の精神主義と全く変わらないことを指摘していました。今回はそれに加えて、人権意識の希薄について触れ、自分自身他者に対してどれだけ優しさをもって接してきたか反省させられると話しました。そしてその日の説教との関連で、自分が現在のことに汲々として未来をどれだけ踏まえて生活しただろうかと考えさせられたと。 Kさんからは、24日に開かれた寿講演会での講演にについての感想が述べられました。韓国聖公会の「分かち合いの家」の運動の過程で、その運動を国家も認めているという点について姉妹は違和感を覚えたようです。
 この「黙想と祈り夕べ」を一ケ月やって見て、少人数の「黙想と祈りの会」が、「基礎共同体」のようにいくつも生まれ、それぞれの課題や重荷を共有し、祈り合い、そこから新しい歩みが始まって行ったらと、夢が大きく膨らみ始めています。
 
以下、2011年8月1日記
 【昨日寿の日本基督教団なか伝道所で礼拝説教(聖餐をテーマに説教)と礼拝後の「私の戒規免職問題は何か?」という題で話をさせていただきました。私は戒規免職問題の背景には戦時下に通じる教団の護教の精神があると思っています。日本基督教団は、戦時下教団の護教による戦争協力を反省し、それを否定的に乗り越えるために1960年代以降「宣教基礎理論」や「伝道圏伝道」など世に仕える教会のあり方を模索してきました。1967年の「戦責告白」もその線上にあります。しかし、前山北宣久教団議長は、逆に「戦責告白」以後の40年に対して「荒野の40年」と断定し否定的評価を加えました。これは戦時下教団の護教の精神に帰ったことを意味します。その教団の護教が「それいけ伝道」(山北宣久前教団総会議長)や「伝道に熱心な教団」(現石橋秀雄教団総会議長)に繋がっていると思います。さらに言えば、東京神学大学の危機が背後にあると思っています。昨秋の教団総会で「議案ガイド」なる姑息な手段を弄して現執行部および各委員会人事が福音主義教会連合・連合長老会とその親派によって独占されました。その後の教団の営みを見ていますと、例えば最近教団新報の一面に東神大の学長経験者である大木英夫の説教を載せています。日本基督教団はかつて教団総会で東京神学大学の機動隊導入を批判する決議をしています。その教団の機関誌にあたかも何事もなかったかのごとく、東神大機動隊導入に教授会の一員として深く関わっている大木英夫を担ぎ出してきています。また、教団では東日本大震災支援募金のプロジェクトの一環として、神学シンポジウムなる企画が立てられています。この時期にどうしてこのような企画が出てくるのか、理解しかねますが、この集会の特別講演講師が大木英夫になっています。伝え聞くとことによれば、姜尚中福岡伸一に断られ、富岡幸一郎にしたところ、彼の思想性への批判が多く寄せられ、急遽講師を大木英夫にしたということのようです。この護教と東神大擁護は神学的は批判意識を全くもたない自己目的化した現在の教団の退廃的な姿勢を現しています。
なか伝道所での私の話に対して、東神大から牧師になる人が多い教団の現状で、戦責告白以後の問題意識を持った牧師がどれだけいるのか、少なくなっていくのではないかという質問がありました。それに対して、私は地方の現場で問題を担いながら健闘している方がいること、また、将来的には牧師に頼らないで信徒が自由に集まって、聖書を読み、祈り合う家の教会のような集まりをつくって、それぞれがおかれた場でイエスの足跡をたどって生きて行く仲間ができればいのではないか、と答えました。
このような集まりは、上記掲載の「黙想と祈りの夕べ通信」№6の最後に書いてあることをイメージしてお話しました。】