なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(588)復刻版

 昨日は朝からでかけて、ブログを掲載することができませんでした。今日は、黙想と祈りの夕べ

通信(588)復刻版を掲載します。2011年1月のものです。この黙想と祈りの夕べ通信は

011年1月末をもって終了しました。2011年3月末をもって紅葉坂教会を任期満了で辞めま

した。4月から新しい牧師を迎えるためにこの年の3月に入ると、牧師館の修理工事があり、2月か

ら引っ越しの準備に追われるようになりましたので、黙想と祈りの夕べ通信は1月をもって終了する

ことにしたのです。


       黙想と祈りの夕べ通信(588)[Ⅻ-14]2011・1・2発行)復刻版


 あけましておめでとうございます。新しい年の上に主の導きをお祈りいたします。

 12月31日に寿の越冬の炊き出しの切り込みと配食に参加しました。クリスマスのころ発行された寿地

区センターのニュースに私の免職処分のことが載りましたので、越冬の参加者の中からも、「北村さん、

大変ですね」と声をかけられました。その中の一人にバプテスト教会の信徒の方がいて、ニュースで知

ったと言って、声をかけてくれました。その人は、自分の所属する教会にしばらく前から出席していな

いようで、クリスマスはカトリック教会の礼拝に出席させてもらったとおっしゃっていました。出席し

なくなった理由は、教会がサロン化していて、寿の問題にしても社会の問題を自分で考えようとしない

教会の体質に嫌気がさしたということのようです。

 昨秋開催された教団総会では、沖縄教区の宣教連帯金減額を元に戻す議案をはじめ、合同のとらえな

おしを推進する議案、基地問題と取り組む議案、セクシュアルマイノリティーに関する議案などすべて

否決されました。現在の教団の大勢も社会的な問題との取り組みは、教会本来の宣教の課題である伝道

を優先にすべきであるということで、二次的な課題と見なし、結果的に社会的な問題には取り組まない

ということになっています。1960年代後半から教団は宣教基礎理論に則って、教会の体質改善(世に仕

える教会へ)と伝道圏伝道を推進しました。この宣教基礎理論は、教会はサロンではなく神の国の宣教

に仕える前進基地であるという認識に立っていました。当時私も神学生で紅葉坂教会に籍をおいていま

したので、靖国神社の国営化法案が国会に出され時でもあり、70年安保、万博キリスト教館出展などの

問題とも重なっていましたので、その動きに鈍い反応の教会に対して、教会はサロンではないという主

張をしたものです。

 バプテスト教会の信徒の方のお話を聞きながら、40年前と教会は基本的には変わっていないと、つく

づくと思わされました。同じ寿でボランティアとして越冬に参加していた教団の信徒の女性が、バプテ

ストの信徒の方に向って、教会にはいろいろな人がいるし、自分の立場を貫きながら、その方々との関係

を大切にしていかれたらと、教会との関わりを絶たないようにと一所懸命勧めていました。そばでこの二

人の話を聞きながら、私も彼女の立場に立ちますが、バプテスマの信徒の方に彼女と同じようには教会と

の関わりを絶たないようにと勧めることはできませんでした。さてこのバプテストの信徒の方は男性で、

お連れ合いは洗礼も受けていないし、教会との関わりもない方のようですが、この方がその妻に教会のこ

とを話したというのです。教会は自分たちのことしか考えていないし、社会のいろいろな問題を切り捨て

てしまっているというようなことを話したそうです。すると彼の妻である女性は、教会が社会の問題を切

り捨てる以前に、社会の人は教会を見捨てていて、教会には何も期待していないという趣旨のことを言わ

れたそうです。そのように妻から言われた彼はショックだったようですが、この彼の妻が言われたことが、

私には真相のように思えてなりませんでした。1860年代頃から本格的にプロテスタントキリスト教が日

本の中に宣教され、日本人キリスト者が誕生し、日本の社会の中にプロテスタントの教会が生まれ、現在

に至っていますが、何時の頃からか、日本のキリスト教会は護教的になっていったように思われます。

1890年頃より天皇制国家の枠組みが日本の社会の中で強化されていきますが、その頃起こった内村鑑三

不敬事件以降、日本のキリスト者は信仰の内面化によってキリスト者としてのアイデンティティーを保っ

ていったのではないでしょうか。それまでは、社会的な運動とキリスト教は一つの根から出ていたのです

が、1890年前後からそれが分離し、社会的な運動は天皇制国家の弾圧をまともに受けていくようになりま

す。そういう中で、キリスト教天皇制国家とまともにぶつからずに、その枠の中で自らの延命を図った

のでしょう。その結果戦争協力にも一線を引くことができずに、ずるずると国家の戦争に加担してしまっ

たのはないでしょうか。

 現在の教会の多くは、今も信仰の内面化から脱皮することができずに、キリスト教信仰は私的領域に閉

じ込められ、公共的な社会への影響力は少なく、この現代の社会で生活している人にとっては、キリスト

教はあっても無くてもよいものに過ぎないのではないでしょうか。けれども、イエスの宣教は神の国の到

来であり、神の国の到来は私たちの私的領域に限定されはしないでしょう。むしろ聖書では神の国の平和

や和解は、神と人間の間だけでなく人間と人間の関係にも広がって語られているように思います。新しい

年も、イエスによる神の国の到来を信じ、神の国の平和や和解を実現するために、そのことを求めてそれ

ぞれに与えられた人生の旅を続けて参りたいと願います。 


            「私たちの霊的な父と母」   1月2日


 喜びと悲しみは決して分かつことが出来ません。私たちが素晴らしい眺めを堪能している時、その眺め

を共に楽しむ友人が居合わせないのを残念に思うかもしれません。あるいは、私たちが悲しみにうちひし

がれている時、真の友情の意味を見出すかもしれないのです。喜びは悲しみの中に隠されており、悲しみ

は喜びの中に隠されています。何とかして、悲しみを避けようとするなら、喜びを味わうことはないで

しょう。また、私たちが夢中になることに冷やかなら、苦悩が私たちを襲うことも決してありません。喜

びと悲しみは、私たちの霊的な成長にとって、父であり母なのです。


                  (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)