なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(14)

 本田哲郎さんを囲む会に来ておられた全盲の方3人の、視覚障害についての捉え方が微妙に違っていて、いろいろと考えさせられました。Tさんはカトリックの信者さんで数日後に80歳という方で、自分は「障がいは神の惠だと思う」と、確信を持っておっしゃいました。一方I牧師は、「障がいは神の恵みではない」と、はっきりと言われました。Kさんは、自分は生まれながらの全盲だが、「目が見えるように癒されたいとは思わない」と、しみじみとおっしゃっていました。TさんとKさんのお二人は生まれながらの全盲とのことです。しかし、I牧師は20歳を過ぎてから事故で全盲になりました。それぞれによって自らの障がいをどう受け止めるかは、その一人一人の問題だと思います。第三者が障がいを持っておられる方に、その障がいは神の惠だとか、神の恵みではないとか言うことはできないように思います。
 さて、以下「父北村雨垂とその作品(14)」を掲載いたします。
 
父北村雨垂とその作品(14)
 
 「私と いふもの」(続き)
 
寂びた夜は じりじり縮む この体躯
無限の底は 黒いと 伸びる瞼
おんなの肩に 枯葉のような 私の掌
あるじの居ない 椅子は夕焼けをみてゐた
恋の娘に 私は 生死を課題とする
 
狂人に 新聞も ラジオも 激賞した
明日の秩序へ 狂人が駆けだした
実に静かに 狂人がみてゐる 盆踊り
絵の具なき 絵の具皿あり 赤ん坊よ
赤ん坊に 言葉なけれど 春が萌え
 
猫柳 汝を西行法師とす
雑炊へ 吾が能面が浮く 明日え
女にんまりと笑い 刑事と去った
寒月は 家それぞれに 善を識るか
門燈が 軟らかくつつむ 鼡賊と霜柱
 
さいころの知らぬ明日を賭けて眠る
碧空がある それだけの明日をみる
球 轉ぶ 球のこころにそむきつつ
人は花粉 家は雌蕊に 似たるあり
巌を刻む 名工の潮に 無用の時間
 
白ナンバーをみろ とのさまがえる ひきがえる
火葬場のけむりは 今日も白い
おんなに悩むを 尼僧 日記に 何ぜ書かぬ
サイクロトンに 運命以前の いのちの舞踏
郷愁は黒く沈む この土も黒い
 
落花ふんぷん 月が重量を増した
おどる暴風雨 ( あらし ) 踊る天幕の曲馬團
猫が横切る ぱっと 酒場の灯が消える
軽音楽と煙草ぱらりと遺書が落ちた
現実が三尺厚い 或るときの私
 
昔、昔 歴史の種を蒔いた 農人
虹の頂点から 眞逆さに 太郎と花子
馬鈴薯は 花をつけたり 箕と笠
街燈も 月光の如くに死んだ 冬
木(?)をつつむ 時刻 ( とき )の自然に流るるよ
 (?の字の判読がむずかしい。木偏に免と見える字が書かれているが、よく分からない。)