なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信№15

船越通信№15   2011年7月17日     
 
  710日の礼拝は、午後私の就任式がありますので司式をしてくださるK牧師をはじめ、前任地の紅葉坂教会の方々、以前紅葉坂教会にいて千葉の教会に転会したご夫妻の方、私のブログで知ったのでしょうか、一度船越教会の礼拝に出席してくれました大阪の方など、多くの方が出席して下さいました。15名前後の現住陪餐会員の教会の礼拝出席が、この日は30名でした。424日のイースター礼拝が17名の出席で、4月以降私の着任以来の礼拝出席者としては一番多かったのですが、それをはるかに越えました。多分この日の30名の礼拝出席者の数は、当分は(?)越えられないでしょう。奇跡が起こらないとも限りませんので、永遠に(?)越えられないとは言えませんが。
  就任式とお茶の会にも沢山の方々が来てくれました。船越教会関係の方々が私を含めて16名で、他教会から小さな2人の子どもさんをいれて57名、合計73名の出席者でした。就任式では司式者のK牧師にお願いして、独自の式文を考えていただきました。特にお願いしたのは、牧師と信徒の階層的な違いを示す言葉が牧師と教会員に対する誓約に入らないようにということです。牧師も信徒も共に教会の宣教の担い手であるということを強調していただきました。これは、私からのお願いというよりも、船越教会の信徒の方から以前の牧師就任式に出ていて、牧師と信徒の階層的な違いを示す言葉に違和感を抱いたという意見がありましたので、私の方からK先生にお願いしました。K先生には前もって式文を作っていただき、それを船越教会の役員会でも確認してありました。このことにK先生が快く対応して下さったことに心から感謝しています。就任式には聴覚障害の方もいらしてくださいましたので、就任式の記録はテープにとりませんでしたが、パソコンによる要約筆記がありますので、何れそれに基づいて記録に残しておきたいと思っています。ですから今回のこの通信には就任式の中身については触れないでおきます。また、私は案内を神奈川教区の諸教会伝道所の他には、他教区の数名の神学校時代からの友人と、紅葉坂教会関係者と寿地区活動委員及びオリエンテーション委員の信徒の方に出しただけでした。私としてはお花も祝電も来ないだろうと思っていましたが、案内も出していない思わぬ方からお花も祝電もいただきました。ありがとうございました。
  713日には、既に天上の人となっている私の上の姉の連れ合いのお別れが久保山の火葬場で行われ、私の連れ合い共に出席しました。午後には鶴巻にTさんが訪ねてくれて、久しぶりに囲碁を打ちました。終盤近く僕が見誤って大石をとられ負けました。Tさんは数年前にO教会を辞して牧師を隠退しています。目の病気をもっていますので、本を読むことが苦になっていて、今は自分の工房で古楽器の制作に打ち込み、後はマンションでテレビなどで囲碁の番組を見ているようです。どうも相当腕を上げているようで、彼が帰った後気がつきましたが、僕との手合わせは彼が手加減していたようです。本当に久しぶりに囲碁を打ち、やはり囲碁はいいなあ―とつくづく思いました。
  710日の説教は安息日論争(マルコ2:23-3:6)の個所でした。実はこのところは私が「福音と世界」に書いています随想メッセージの8月号に書いたところです。私は、「安息日は人のためにあるので、人が安息日のためにあるのではない」というイエスの言葉に勇気と希望を与えられてきました。聖書学を勉強するようになって、共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)にある同じイエスの物語でも、それぞれの記述には微妙な差異があり、その差異にそれぞれの福音書の記者の神学(信仰の考え方)が現れていることを知るようになりました。この安息日論争の並行記事を比較しますと、上記の言葉はマルコ福音書にしかありません。マタイもルカもこの言葉は削除しています。マタイとルカはマルコを資料の一つとして福音書を書いたと言われますから、マルコの説話にあるイエスの言葉を、わざわざ削除したのには理由があるはずです。こういう場合、上記の言葉はマタイやルカには、余りにも革命的過ぎて、自分たちの置かれた状況の中ではそのまま語り継ぐことは出来なかったということなのでしょう。ということは、マルコが残している上記のイエスの言葉は、イエスご自身から語られた可能性が高いということです。私はこのイエスの言葉を古代イスラエルの誓約共同体の理念と現実に思いをはせながら考えました。エジプトで奴隷であったイスラエルの民は、出エジプトという出来事を経験し、イスラエルの神ヤハウェとの関係を再構築したのだと思います。神の恵みとしか言いようのない出エジプトの経験は、彼ら・彼女らにとって決定的だったと思われます。神の恵みの優位性の中で彼ら・彼女らはエジプト脱出後、シナイ山で指導者モーセを介して神との間に契約を締結します。その契約に基づいてイスラエルの民には「かく生きよ」という法(十戒)が与えられます。解放者である一人の神の前に同等対等な人間関係を、隣人の命と財産を奪ってはならないという定めを大切に生きる群れとして、出エジプトの民はおそらくパレスチナ定着後の自営農民を中心とした共同体の中で生きていったのではないでしょうか。そこには奴隷であった自らの歴史を想い起し、「しもべ、はしため、他国人」の痛みへの共感を大切にして生きるという姿勢が出ています。そして一週間一度の「安息日」にすべての労働から解放されて、神の創造の業と出エジプトの出来事を想い起し、神を礼拝し、真の休息を得たのでしょう。私はこの古代イスラエルの契約と法による共同性は、現在でも私たちの未来を拓く命があるように思えてなりません。