なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(54)

         船越通信癸毅粥  。横娃隠嫁4月22日         

・4月15日の礼拝は6名でした。前週のイースター礼拝が21名でしたので、少し寂しい感じでした。けれども、何時ものように礼拝できることの喜びを共にしました。ただ紅葉坂教会のときには、100名前後の会衆によって礼拝が行われていましたので、説教が演説調になっていたのが、声を出すことが自然でしたが、船越教会の礼拝説教では、10名前後の会衆がすぐそばにいますので、演説調ではなく語りかけるようにしているのですが、このところ声が出にくくなっています。今までどこに行っても、よく私の声はいい声ですねと言われることが多かったのですが、最近はかすれるようになりました。船越教会に来てから、人と話す機会も少なくなったので、声を出す機会が少なくなったからでしょうか。それとも私は現在満70歳になっていますので、加齢による自然現象なのでしょうか。発声練習でもしなければとも思ったりしています。

・15日は礼拝後お茶の飲みながら懇談して散会しました。その後私はいろいろとやることをやって、午後2時過ぎに船越教会を出ましたが、その頃22日の教会総会の準備のために会計のHさんと会計監査のTさんが会計監査の作業をしてまだ教会にいらっしゃいました。ご苦労様です。私は先に失礼させていただきました。

・16日は月曜日でしたが、神奈川教区オリエンテーション委員会が寿地区センターで午後7時からありましたので鶴巻から出かけました。委員会では2012年度の予定を話し合い決めました。

・19日の木曜日には、夜船越教会で聖書研究会がありました。マルコ福音書2章13-18節の安息日論争の物語を扱いました。特にマルコ2:27の「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」が、マタイやルカの並行記事では削除されていることの意味を考えました。そして次回からのテキストを選びました。次回からは上村静さんの『旧約聖書新約聖書~聖書とは何か』を扱うことにしました。最後に礼拝に来ておられるSさんが〈『マルコの福音書』を読んで〉という文章によって聖書研究に参加して下さいましたので、この文章を参加者に回して読んでもらいました。今回と次回の2回に分けて、Sさんの〈『マルコの福音書』を読んで〉をこの船越通信に掲載させていただきます。

        『マルコの福音書』を読んで  S
 
 『マルコの福音書』を読んでみますと、マタイ、マルコ、ルカの福音書の中で最初に書かれた福音書であると分かります。「マルコ福音書」以前に、「福音書」と言われているイエスの伝記物語は、書かれたものとしては存在せず、「マルコ福音書」はこの種の文書を形あるものとして創出されたのでしょう。

 「マルコ福音書」の立場は一言で言うならば、「聖霊主義」というべきかと思われます。つまり「神と直接のつながりのみに価値があるとする立場」と言えるでしょう。この立場を示す典型的な場面は、「イエスの洗礼」の場面(1:9-11)です。洗礼者ヨハネの洗礼活動のエピソードが記された後の場面です。ここで成人になっているイエスが登場します。洗礼者ヨハネの洗礼を、彼が受けます。ヨハネの洗礼は、多くの者が受けていて、ここでは、イエスは多くの者たちと同じような存在なのです。しかし、イエスヨハネの洗礼を受けた直後に、不思議なことが生じます。一つは、天が裂けて、イエス聖霊が与えられます。もう一つは、天から声がして、イエスは「神の子」であるという宣言が行われます。この二つのことは、神の側からの一方的な介入によって生じたことなのです。そして「聖霊が与えらる」「神の子とされる」ということは、「神との直接のつながり」が生じたことです。

 これまでのユダヤ教の流れの立場は、長い間によって神は沈黙していました。長い間にわたって神は動かなかったのです。つまり、「神との直接のつながり」は存在しませんでした。しかし、この時のイエスにおいて、神は、長い間にわたって動かなかったという態度を変えて、動き始めるのです。しかし、「黙示思想」で考えられていたように、「この世」を滅ぼす、という否定的な方向ではなく、「イエス政令を与え」「イエスを神の子とする」というように肯定的な方向で動くようになった、これは新しい出来事なのです。「神が肯定的な方向で働く」ということを、伝統的な用語で表現するならば、「神の救いの活動を始めた」となるかもしれません。しかし、注意すべき点が二つあります。一つは、「マルコ福音書」は、「神の働きについての物語」だという点ですが、「イエスの活動の物語」だということは、表面的には適切です。簡単な説明では、そのように述べてしまうこともあるのです。しかし、厳密に言えば「マルコ福音書」は、「神の働きについての物語」だとされるべきです。「イエスの洗礼」の直前の「洗礼者ヨハネの洗礼活動」エピソードの末尾に、洗礼者ヨハネの言葉が記されていいます。
 ヨハネはまず、「私より優れた者が、私の後に、来る」と述べています。そして、次のように述べています。「私は、水であなた達に洗礼を行ったが、彼は、聖霊において、あなた達に洗礼を行うだろう」。
                           (以下次回に続く)

20日金曜日夜には、寿地区活動委員会が寿地区センターでありました。その前に委員長として教区に提出する2011年度の寿地区活動委員会の報告書を作成して、委員会に行きました。2011年度は非常勤職員が加わり、地区センターの働きを主事と共に担ってもらっています。この主事・非常勤職員体制を続けていくために、なお一層の献金を寿地区センターにお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します

・今週の26日にはいよいよ私の裁判が始まります。原告意見陳述もほぼ完成し、後は当日を待つのみです。どうそお祈りください。