なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(6)

父北村雨垂とその作品(6)
 
「正午」
 
正午の下に 喚く悲劇の群集
正午 そのとき別に驚きもしない
歩く正午 夢も正午を 歩きたがる
宿命の はっきりしてゐない 正午
追憶の あしあとだ 私の正午
虚構の苔が 私の正午の衣裳
正午のあけぼの たそがれの正午が 自轉
下降 上昇 なんと うるさい 正午
 
「冬」
 
冬をブランコに乗った あまりに円い月
月を背に 吾が影を踏む 冬を踏む
遂にアポリア 冬のせせらぎに 月
吾が道を往く 冬のながれ星
冬は、月も呪ってゐるぞ 吠えろ野犬 ( いぬ )
 
「妻」
 
妻の 鏡に 空気の抜けた 乳房
妻の 欠伸に 天上と壁がある
妻は 夢を抱け 青空を歩け
妻の あかぎれ 街は口紅
妻は おのが子守唄で いつしかに寝た
 
「河豚」
 
河豚は、矩銃を懐ろにして 安心はしない
河豚は 髙利貸の ( ツラ )である 良いお天気
河豚は 路傍のものを皆 己がものと 思う
河豚は もうけたと思ったとたんに 引っかかる
河豚は おのが弾丸 ( たま )の暴発で 提灯になった
 
 ぼくの父は、父の姉が嫁いだ所が薬の中卸をしていたので、そこで働くようになったらしい。昔なので尋常小学校を出て、丁稚奉公のようなかたちだったのかも知れない。父の姉の嫁いだ相手には先妻の子供がいて、その人がその会社が1960年ごろ薬の流通システムが変わろうとした矢先に倒産するまで社長をいていた。実質的には父が会社を動かしていたようである。父の働いていた会社が家から近かったので、ぼくは小学校の頃はよくその会社に遊びにいっていた。当事神奈川県全県にある薬屋に薬を卸す会社だったので、薬を車に積んで配達するのである。ぼくはその車に乗せてもらった。車に乗せてもらうのが楽しかったからである。ぼくには姉が二人いる(上の姉は既に他界、下の姉は生存)。その二人の姉とは母が違う。その人は姉たちを産んだ後亡くなったようである。父はその後再婚した人がいたようだが、子どもたちの世話ができなかった人のようで、すぐに別れた。その後ぼくたちの母と結婚して、兄(既に他界)と姉(4歳ごろ戦後の貧困状態の中で疫痢で他界)妹(数年前他界)とぼくの4人の子供が与えられた。
 従って、上記の「妻の 鏡に 空気の抜けた 乳房」の句は、ぼくの母であろう。