なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(86)

 本日4月3日は私たち夫婦の結婚記念日で、満45年になります。後5年でいわゆる金婚式です。昨夜娘と3人で鶴巻温泉駅の近くにあります「湯斗」という、フクロウのいるお店で食事をしました。夫婦の対幻想については、今も不安定を抱えながら、投げ出さないで担い続けていますし、恐らく死ぬまで続くでしょうが、自己幻想、共同幻想と共に未解決な課題です。
 今日は、「父北村雨垂とその作品(86)」を掲載します。
               
             父北村雨垂とその作品(86)

    川研 350 1979年(昭和54年)1月

 「存在(アル)の状態(コト)」へ 君は 地蔵も 石と云う

 時計に跨(のつ)て 大音声に 風を斬れ

 眞(カ)理(ミ) を探せ 蛙(コトバ) の 尾骶骨を 探せ

 歩るけ 砂漠 幾兆年の まばたく 夢を

 頂天を 濃霧(のうむ)に 渓谷(たに) を 尾骶骨 流れ

    
    蒼々亭同窓会報発表 54 1978年(昭和53年)12月

 風雪や 笑え 大阪城の石

 河豚の季節を 解けぬ 禁酒の 睨みけり
 
 風に舞う 病葉 来たれ 吾が 窓に
 
 燈台の ススキは 月と語るかに

 夢ながら 会ひたい人が 来て呉れる


    藍 10 1979年2月

 愛憎(アオアカ)の 暗合(ヒミツ)を 袖に 南と北

 君 識るや 火蛾に 眞昼の 扉をたたく

 東風 吹かば などと 羊に 夢 ありや

 キリストに 釈迦にも 肌は 確かに 嘘(う)偽(そ)

 琴の音 待ち兼ねていたか 蕗の薹(とう)

 女神(モイラー)の虹は 舌で ゆっくり 遊ぶのか

 門標に 世界と 名乗(の)る 一軒家

 一滴の血が カラカラ と 悪善鍋


    川研 351 1979年(昭和54年)3月

 君 識るや 火蛾に 眞昼の扉を啓く

 蛇は橋に 獅子と羊は濁流(とうとう)と 海へ

 五月の風を見上あげた鮒は 貶むか

 ひとつ目の月に 寺町 涅槃の街

 十字菜の花 蝶の仮面を引き剥がせ


    川研 352 1979年(昭和54年)4月

 憎らしい 蝶の目玉に 菜の花や

 ゴキブリは 琥珀に 故里でも 聴くか

 逝く春へ また 来る春へ 茨の芽を

 天井は蒼い大地(みどり)は 褥(しとね)とす

 詞(かみ)の目鼻に 鑿(のみ)と槌とを 採らんかな