なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(100、復刻版)

 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(100、復刻版)」を掲載します。
   
         黙想と祈りの夕べ(通信 100[-48] 2001・8・26発行)

 19日の「黙想と祈りの夕べ」の参加者は、Kさんと私の二人でした。

 「分かち合い」で私は自死についての話をしました。最近の新聞で一年間の自殺者が3万人を越えたという記事が目に入り、そんなに沢山の人が自らの命を断っているのかと、改めていろいろ考えさせられていたところだったからです。たまたま前回の通信にも書きましたが、満州開拓団のことを書いた本を読んでいたときに、その本の中に自決する日本人のことを、その本の著者が数年前に取材で開拓団の後をたどって中国の各地を訪れたときに、現地の中国人に何度か、「なぜ、日本人は死のうとするのでしょうか。生きられる道はまだ残されていたのに」と指摘されたことが出ていました。たとえば、開拓団の中にはたった一度の襲撃で集団自決に走ったところもあったそうです。その本の著者は、「確かに死を急ぎすぎる」と記し、その原因を以下のように想定しています。「その原因を追及していくと、男子を召集で奪われた女子供老人だけの開拓団なるがゆえに、ということになるが、もっと深層を探っていくと、日本人が古来抱いている死を美化する思想に突き当たる。日本人は『武士道とは死ぬことと見つけたり』というほど、死をもっとも重要なものとした」と。

 確かに開拓団の人々にはそういう日本の文化の影響もあるのかも知れません。現在の年間3万人以上に及ぶ自殺者の中にもその影響があるのでしょうか。多少あるのかも知れませんが、私にはもっと別の要因が大きいように思われてなりません。現代社会のストレスが大きいということと、命の尊厳とか重さを実感として感じられなくなっているのではないでしょうか。命の尊厳とかその重さは、他者の優しい眼差しの中でその人が自分を大切にしてくれる人の存在を通して感じ取れるものだと思います。単なる理念とか思想としてではなく、それが肉体化していないと、なかなか身についたものとはなり得ないでしょう。家族や地縁・血縁の絆が強かったかつての日本社会では、個々人にはその絆が自由を縛る力ともなりましたが、自分の存在を実感できる契機ともなっていたのではないでしょうか。現代の都市社会はどうしても匿名性を私たちに強いますから、余程成熟した個人主義を身につけていないと、なかなか生き抜くのが難しいのでしょう。私たち信仰者は神との関わりの中で成熟した個人主義を身につけられる可能性があるのではないでしょうか。そういう者として命の尊厳とその重さを抱えて現代を生き得るとしたら、私たちは文字通り証言者としての働きをすることになれるのではないでしょうか。

 姉妹からは、近所の方々とのお付き合いについての発言がありました。以前暮らしの友の会に入っていて、とてもよい葬儀をすることができたので、その直後10口の入会者を得た。先月はじめにその中の一人の方の所で葬儀があった。先日四十九日が過ぎた頃、その方がお礼に見えた。暮らしの友の会に入っていてよかったと、想像する以上に感謝された。また別の話だが、昨日今日と地域のお祭りがあった。自分は今までもお祭りの寄付は息子名義で、近所の子供たちの楽しみだからと思って出してきた。けれども、お祭りには一切参加して来なかった。今日近所の方から、あなたが出て来なかったので寂しかったと言われてしまった。自分としては、どうしたらよいのか迷っている。それでも、このところいろいろなことがあっても静かに穏やかに過ごせて感謝であると。

 8月26日(日)の「黙想と祈りの夕べ」は休会です。