今日は「父北村雨垂とその作品(78)」を掲載します。以下の作品のテーマとなっている「妻 亜希子」は、以前にも書きましたが、二人の姉の母です。この人は姉たちが幼い時に亡くなりました。そのために父は後妻を迎えましたが、最初の人は子どもたちの世話ができなかったのでしょうか、すぐに離婚し、わたしの母と再婚しました。兄と父の句にも出て来ます幼少で亡くなった治美という姉と妹と私の4人がこの母から生まれました。名は貞子と言います。私たち6人兄弟姉妹の中で、今も生存しているのは私と下の姉の二人だけです。私の母は家庭科の先生を経験している教育者的なタイプの人でした。父は尋常小学校出の人でしたので、私の母に対してある種のコンプレックスをもっていたのではないかと思います。私の幼い頃から20歳の時に母が亡くなるまで、父と母が一緒に親しくしている様子は全くといっていいほど見ませんでした。このブログに父の句を掲載するようになって、父の句を読むようになりましたが、「亜希子」という人への父の強い思いが良く分かりました。と同時にわたしの母の思いも想像しています。
父北村雨垂とその作品(78)
= 幻想作品 = 川研 1978年(昭和53年)1月 337号より
亜希子 抄
洞穴の記帳には 妻 亜希子 とす
東慶寺
牡 丹
幾多郎(にしだ) 茂雄(いわなみ)の 墓
亜希子 そのとき 逗子神武寺の蝶と消ゆ
川研 1978年(昭和53年)2月 338号
亜希子 撫子(なでしこ) 相模河原 照り 曇り
傳え聴く 恋の峠に 雪 降り積(つ)む
体臭を 亜希子 浜木綿(はまゆう) 芦名の浜
亜希子 蒼空 岡本太郎の航跡や
双頭の頸は 互の日誌を 重ね
川研 1978年(昭和53年)3月 339号
菜の花や 油壺から 亜希子の 翅(はね)
水仙の悲命を 亜希子 水盤に
悪の華 亜希子 オピック 乳房の 痴
亜希子 石笛 沖の島から 呼びながら
りんどうは 夕陽に 沈む 亜希子の碑(いしぶみ)
川研 1978年(昭和53年)4月 340号
亜希子 法悦 待者に 岡本一平など~など
亜希子 西風(ゼビロス) 本草項目などを 掌に
ガンジスの砂に 神話を 掌に 亜希子
亜希子に 河 ヨーガの口唇(くち)に 棗(なつめ)の皮
花吹雪 菩薩(ぼさつ) 亜希子に 微熱 在り
川研 1978年(昭和53年)5月 341号
風にゆれ 山吹 亜希子 あとや さき
暗い(ヘラクレイ)人(トス)に 亜希子の贈る 螢の唄(うた)
心臓を羞痴に 沈め 亜希子の 汗
鏡台のエロス 亜希子を分析する~か
亜希子 白鳥 光あれ と シロホン