なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(47)

         船越通信癸苅掘  。横娃隠嫁3月4日     

・2月26日は午後4時30分から神奈川教区事務所で神奈川教区のオリエンテーションンがありました。このオリエンテーションは、1970年以来の教団の諸問題(戦責告白、万博・東神大問題、教師検定問題、合同のとらえなおし等)についての歴史や理解を共有するために、神奈川教区に他教区から転任してきた新任教師や准允・按手志願者、教師検定試験受験者を対象にして教区のオリエンテーション委員会が主催して行っています。上記の諸問題の他に、神奈川教区として取り組んでいます寿地区センターの働き、在日コリアン差別の問題、基地問題も現場研修としてオリエンテーションのプログラムに入っています。毎年4回のオリエンテーションを開催しています。第一回は毎年同じで「神奈川教区形成基本方針と教区組織」について、教区議長か副議長の方を講師にお願いして行っています。神奈川教区の教区形成基本方針は、1970年の頃教団問題が噴出し、その理解の違いによる対立によって教区総会が開催できなくなり、そのような経験から違いを認め合って他を切り捨てない忍耐深い対話による一致を求めていく中で、合意できる実践的な問題は着実に実行していこうというものです。1970年以降の日本基督教団ではこの神奈川教区形成基本方針の方向性によらなければ教区も教団形成も成り立たなくなっています。それを現在の教団の多数派(多くて全体の55%)は、信仰告白の一致と教権教規の遵守ということで、自分たちの宣教論・教会論・信仰論とは違う立場に対して排除と切り捨てに出て来ています。その典型的な事例は私の戒規免職処分なのです。

・26日のオリエンテーションでは「合同のとらえなおし」を扱いました。講師は前沖縄教区議長の村椿嘉信さんにお願いしました。村椿さんは、沖縄と日本の歴史を対照させながら日本による沖縄の侵略の歴史から掘り起こしながら、沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同とその問題性を両者の歴史を振り返りながら話してくださいました。そして沖縄教区が将来検討委員会を中心にまとめた将来像(「沖縄にある将来教会の在り方」答申)についても触れて、特に国家と教会の問題を強調されました。「苦しむ人たちとともに歩まれたイエスに招かれ、日本の精神的風土を相対化し、国家の権威や権力にとらわれることなく、国家の枠組から自由になり、神の意志を尋ね求めつつ、合同教会としての新しい在り方を求めて歩むべきである。愛を持って、重荷を負う人たちと連帯しつつ、平和をめざすべきである」と結ばれました。当日の参加者の中には、教会は伝道に専心すべきで、社会問題はキリスト者個人がそれぞれの場で担うべきだという考え方の人がいました。沖縄教区の中にも同じ考え方の人がいて、沖縄教区は一枚岩ではないと言い、「沖縄にある将来教会の在り方」答申については批判的な意見を述べていました。批判のための批判というのではなく、内容的に違った考えや意見を述べ合って相互批判的な話し合いから、それぞれが新しい発見を与えられることが望ましいのですが、なかなかそこまではいけません。それでも神奈川教区にオリエンテーションというプログラムがあることには何がしかの意味があるのではと思って委員会の責任を引き受けています。

・2月28日にはシャワーの会がありましたが、私は参加しませんでした。シャワーの会は路上生活者のパトロールで、Hさんからお借りした自動車をSさんが運転していろいろな公園や横須賀中央や汐入周辺をまわり、路上生活者の方と出会ったら、健康状態をお聞きしたり、おにぎりを配ったり、必要なサポートをしています。今回はボランティアとして新しい参加者がいらっしゃって、自動車には4人しか乗れませんので、一人余ってしまうと言うので、若い方に参加してもらった方がよいと思い、私が参加を控えました。路上生活者のパトロールに関心を持って下さる方がいらっしゃるのはうれしいことです。

・29日には鶴巻で3人で聖書を読みました。私がマルコ福音書5章機檻横粟瓩慮捗蠅砲弔い届辰鬚靴泙靴拭Aケ朸飢颪領蘿卆盒気任蘯茲螳靴辰神蚕餮捗蠅任靴燭里如同じ話をしてもと思い、たまたまある新約学者がこのテキストでした説教が載っていたものがありましたので、私の話の一部をその新約学者の説を取り入れて話しました。私の話が終ってから、一人の方がいつもの私の聖書理解とは違い、ハッピーエンド的で面白くないと言いました。悪霊に取りつかれて墓場で生活していた人の解放の物語です。私の引用は【「きみは愛されるために生まれた/きみの生涯は愛で満ちている/きみは愛されるために生まれた/きみの生涯は愛で満ちている/永遠の神の愛は われらの出会いのなかで実を結ぶ/きみの存在が 私にどれほど大きな喜びでしょう/きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている/きみは愛されるため生まれた/今もその愛受けている」(作詞・作曲/イ・ミンソプ)。この歌が「レギオン」に取り憑かれたゲラサ人を癒したイエスのメッセージの核心を、分かりやすい言葉で表現しているように思われます。「君は愛されるために生まれた」- 私たちを自分自身や周囲の人に対する疎外から解放するのは、このメッセージです。だから「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」(19節)。私たちの帰る家が、今週も、そのような神の創造的な力が働く場所となりますように!】です。悪霊に取りつかれた人は、そんなに簡単に解放されないというのです。私の連れ合いは船越での私の説教は違ったと言います。二人の批判にさらされて、安易に人の書いたものを引用すると、墓穴を掘ると改めて知らされ、自戒としなければと思いました。

・3月1日は雨の降る寒い日でしたが、寿地区センターのことで神奈川教区事務所に行き、宣教師派遣要請の書類を届けました。

・2月26日の説教は私のブログ(3月1日)に掲載してありますので、そちらをご覧ください。