なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(154)

 今日は「父北村雨垂とその作品(154)」を掲載します。以下の句の中には既出のものもあるようで

すが、そのまま掲載します。

父北村雨垂とその作品(154)
  
  
原稿日記「一葉」から(その37)

 
川研 406号  1983年(昭和58年)10月

 病葉や「莧」と応えて秋の陽に

 太陽(ひ)と月と何か惨然たる涙

 これやこれ 無形の「法」を観やうとか

 吾が日々や 生死の渓谷(あい)を咳(せき)歩き

 秋の陽や 独禅独語 吾にも在り

   
川研 412号  1984年(昭和59年)4月

 心経に 点が鳴るかや 森に鐘

 健やかに葦の育つも祈るも風か

 時計り屋根も 神と仏(ほとけ)には遣(や)らぬ

 黄金の 鴉を夢の遇(おう)かしや

 濃(ノー)盆(ボン)に墜(おと)す吾か身の薄みどり


   行路 連作として冒険する

  註:,海裡横斡腓賄郎君の要請によるものであったが、藍の発行が危ぶまれた為に一時返却を求め     たものである。1981年(昭和56年)12月30日記。
    △海旅塹は藍15号に発表(1982年(昭和57年)4月)されたものである。

 十字路の 奴隷は 辞書を見失しなう

 何? 何? の山積にして 埴輪とも

 寝台に 未だ見ぬ プロクルステスの魂(ユメ)

 天秤(てん)棒(びん)に 曽(じ)祖父(じ)―右衛門―と納屋の端(はし)に

 落ちこぼれたり 童女よ―松葉ぼたんたり

 誰か聴け 大地の魄(おに)を 梅雨(つゆ)の夜に

 燦々と 月が涙を 能面に

 ペンギンの端然として阿呆とも

 端無(はしな)くも 秒針 無心 萩を往く

 灰色の太陽を見て―死ぬか

 千人の針が宇宙(そら)を 駆けめぐる

 鉛色(にびいろ)の夕(ゆう)べに 鐘を衝く 狐

 レーニンもカウッキーも踏み絵―それも踏絵

 竹林や「心」と尼僧 壱字のみ

 煌々と メロン 北吹く街の貌(かを)

 透きとおる梯子を登る今日(けふ) 明日(あした)

 一握の夢を子に置く 夜明(よあけ) とも

 大海に 石を浮かべて 勝つつもり(計画)

 紫陽花と血に 眞実を聴く 狐

 陽も月も 拝がまぬまま 鉢の花


    川研  425号  1985年(昭和60年)5月

 禅(こころ)をみたか霧のプリズムが在ったか

 風に跨(のっ)て赫い夕陽の駅へ駆け

 俺は風とか 汝(おまえ)も風と でもポチ(小犬)よ

 病葉にあらねど風に赤や黄の

 世尊の粘莱 ソクラテスの風 利久の釜


    川研 431号 1985年(昭和60年)11月

 翠巒(すいらん)も 虚(むな)しや 風に黄に赤に

 揺(ゆ)らぐ灯の記號を噛みに噛む胸よ

 雑草(くさ)の根に菩薩(ぼさつ)を欲るか松虫の

 こおろぎと念仏を居士夜を白らみ

 仏思と識(し)る由もなき声呱々(ここ)と