なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(162)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(162)復刻版を掲載します。


       黙想と祈りの夕べ通信(162[-5]2002・11・3発行)復刻版


 今週の週報コラムで、Mさんが父親としての自分の子どもの問いにきちっと答えていかなければならな

いが、ついつい忙しさにかまけてそれができていない自分を反省するという文章を書いていました。私は

以前問いをもつことの大切さを清水真砂子さんの著書から教えられました(『子どもの本の現在』、『子

どもの本のまなざし』、『もう一つの幸福』など)。清水さんは少年期、青年期にいろいろな問いを持

ち、その問いを自分の中で大切にしていくことが、この世の中でその人が人間として生き抜くための力に

あるという主旨のことを書いていました。なるほどと思ったことがあります。それとは反対に受験勉強に

勝ち抜くためには、余計なことを考えず受験勉強に没頭することが求められます。問いを持つことは受験

勉強ではマイナスなのです。かつて企業戦士と呼ばれた猛烈社員にとっても、この自分の仕事は本当に人

間の幸せになっているのだろうか、という問いを持つことは好まれなかったと思います。そういうことを

考えますと、清水さんが、問いを大切にして生きていくことが人間らしさを失わないでこの世の中を生き

抜く道だといわれていることが分かるのではないでしょうか。Mさんの週報コラムを読んで、そんなこと

を感じました。

 以上の私の発言に続いて伝道師の発言がありました。明日から自分は明後日から開かれる教団総会のた

めの事務的な働きをする。現在の教団執行部は長い目で教団を見ていないように思う。今後の世界での最

大の問題は南北問題であり、2025年頃に顕在化すると言われている人口爆発の問題である。そうなっても

アメリカは世界の覇権を維持するために現在動いていると思う。今後人口爆発によって、都市のスラム化

が進行し、社会が成り立たなくなっていくのではないか。今の教団はそのことを見えていない。教勢は増

やそうとして増えるものではない。日本のキリスト教は抜け殻になって、何の役にも立たなくなるので

は。自分なりに神学的構築をして今後に備えて行きたいと思っている。

 続いて一人の方からの発言がありました。私は先日当教会で開かれた「合同のとらえなおしと実質化」

について学ぶ10・15集会の発起人の一人である。この問題についてそれほど関心が強くなかった自分が、

夏に沖縄ツアーに参加し、発起人の一人になったのが不思議である。10・15集会に出席した教会の人か

ら、何が何だか分からなかったとか、大変ショックだった、という意見が寄せられた。私も沖縄に行く前

に少し「合同のとらえなおし」について学び、沖縄で考えさせられ、矢も楯もいられなくなってやりだし

た。沖縄でも牧師だけでなく信徒が「くずもちの会」という集まりを自主的に作り、自分たちで学んでい

る。今まで自分は何でもお任せ的で、事柄を追究していくのではなくやってきたことを、今反省させられ

ている。信徒の友の日毎の糧に出てくる教会の中には、教会員の高齢化で会堂掃除もままならないという

所もある。私たちの教会は、礼拝にも新来者が来るし、高齢化とは言いながら、どうにかなるという思い

もどこかにある。そういう自分の枠からのみ見ていて、上記のような教会の厳しさを見過ごしてしまって

いる自分を感じる。「大きなうねりを起こす会」の発起人の一人として教団総会に陪席するが、何でも見

てやろうという気持ちで参加したい。沖縄のこととの関わりを通して、自分の姿勢を正される思いであ

る。10・15集会で、参加した人の中に少しでも沖縄のことが自分たちの問題であることに気づいてくれた

人があれば、よかったと思う。



     「わたしたちの交わりは天にある」(『ルターによる日々のみことば』より)

 
 わたしたちの国籍(交わり)は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わた

 したちは待ち望んでいる。    フィリピ3:20

 
 キリストにあって洗礼をううけ、キリストを信じるわたしたちは、地上の一時的なこの世の生活の義に

は、わたしたちの存在や慰めの土台はおいていないのだ、と彼(パウロ)はいいます。わたしたちは、信

仰によって天上のキリストに結合する義を持っており、キリストにのみ留り、立っています(他には神の

前に何もないからです)。そして、キリストにおいて永遠である唯一の目的を持っています。それは、キ

リストが再臨によって、この地上生活と、この地上のからだを終結させ、新しく、純粋に、聖であり、キ

リストの生命とからだのようなものである別の生命を、わたしたちに与えてくださるのです。

 それゆえにわたしたちは、もはや地上の民とは呼ばれず、洗礼をうけたキリスト者はだれでも、洗礼に

よってほんとうの天の民なのです。それでわたしたちは天に属し、天に家を持っている者のように、歩

き、ふるまっています。そして神がわたしたちを受け入れ、天に連れて行ってくださることを知って、自

ら慰められます。わたしたちは、天から下って永遠の義と生命とほまれと栄光をもたらしたもう救い主

を、当分の間は待ち望みます。

                              三位一体後第23主日の説教