なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

神さま助けて

これは、紅葉坂教会時代に「こどもと大人の合同礼拝」でのお話し(説教)です。2008年7月第1主日です。ちょうど今の時期ですので載せます。
 
「神さま助けて」 詩編69編14-16節
 
「あなたに向かってわたしは祈ります。
 主よ、御旨にかなうときに
 神よ、豊かな慈しみのゆえに
 わたしに答えて確かに救いをお与えください。
 泥沼にはまり込んだままにならないように
    わたしを助けてください。
 わたしを憎むから
 大水の深い底から助け出してください
 奔流がわたしを押し流すことのないように
 深い沼がわたしをひと呑みにしないように
 井戸がわたしの上に口を閉ざさないように。」 
 
そろそろ梅雨が明けて、本格的な夏の到来が間近です。ここ数日真夏日で、海で泳ぐ人も多くなっているでしょう。夏の時期につきものなのは、水に溺れて命を落とす人がでることです。私は泳ぎがそんなに上手ではありませんので、水への恐怖がどこかにあります。
先程読んでいただきました詩編6914節から16節にも、水の恐怖がこのように語られていました。「大水の深い底から助けて下さい。奔流がわたしを押し流すことのないように 深い沼がわたしをひと呑みにしないように」。この詩人は、自分が大水の深い底に沈んでしまったように感じています。そして、「神さま たすけてください おぼれそうです。わたしを ここから ひっぱりだしてください。人はみんな わたしを見て わらっています。だれも たすけてくれません。ああ 神さま あなただけが たよりです。 神さま たすけてください」。
このように、おぼれそうになって、神さま あなただけがたよりです。たすけてください と祈らざるをえない人はどういう人でしょうか。この詩の場合、はっきりした状況はわかりません。多くの敵の側からのいわれのない訴えや逮捕による苦しみのようにも思われます。ですから、イエスの受けた苦しみに通じるので、詩編22編と共にこの69編がメシア預言として新約聖書に引用されています。私は、この「神さま たすけてください、わたしはおぼれそうです」という叫び、祈りを思い巡らしていくに従って、今のこの社会に生きている者であれば、病気や他者の誹謗中傷によって苦しんでいる人だけでなく、この祈りを必要としない人は誰もいないのではないだろうか、と思うようになりました。というのは、現代社会にあって人は誰もおぼれそうになっているのではないかと思うからです。たとえ健康で何不自由なく生活している人であっても。直接病気やみんなからいじめられているとか、苦しくて助けて欲しいということがなかったとしてもです。
先日地球の温暖化によって北極の氷が解けて、白熊さんが生きていけなくなっているというテレビを観ました。現代の大量生産、大量消費という人間社会によって、地球環境が変化して、それまで生きていた動物や植物の中には絶滅してしまった種も多く、これからもますますそうなっていくと言われています。たくさんの命を殺しながら生きている私たち人間は、自分自身が溺れそうなのではないでしょうか。他の人の苦しみ、痛みはもちろん、人間の苦しみ、痛みだけではなく、動物や植物をはじめ自然の苦しみ、痛みへの共感によって、神さまは、自分はおぼれそうです、助けて と叫ぶ人と共に、同じ叫びを共有せざるを得ないように思います。
神さまは、苦しんでいる人の前を素通りしていく方ではありません。本当に神さまの助けを求め、必要としている人のところに来てくださり、健やかな命を与えてくださいます。この詩は、30節で「わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります。/神よ、わたしを高く上げ、救ってください」と語り、31節以下で、「神の御名を讃美します。/御名を告白し、神をあがめます」と突然神讃美に変わっていきます。そしてこのように歌われています。
「貧しい人よ、これを見て喜び祝え。神を求める人々には 健やかな命が与えられるように。主は乏しい人々に耳を傾けてくださいます。主の民の捕らわれ人らを 決しておろそかにはされないでしょう」と。自分の人間としての貧しさを自覚し、神の御心に適う健やかな命を生きたいと願います。