なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(113)

 今日は「父北村雨垂とその作品(113)」を掲載します。1964年の日記の中に下記の句が記されていました。

 1964年と言いますと、父は64,5歳ではなかったかと思います。この日記を見ますと、しきりに体力の衰えを記しています。今の私は70歳ですが、父は70歳で脳溢血で倒れ、左半身不随になり、その後は約15年間ベットの生活を続けました。前にも書いたかも知れませんが、実は父にとって半身不随になってからの15年間の病床生活こそが、父の人生のうちで最も幸せな時期ではなかったかと思われます。現在遺されているノートは全てこの時期のものです。

 1964年という年は東京オリンピックのあった時で、その後ベトナム戦争が泥沼化していきます。日本経済は、日米安保によるベトナム特需で潤い、企業は70年の大阪万博開催を契機にアジアを中心に海外進出(侵略)に向います。労働者の所得も倍増して行き、日本社会は総中流社会になったと言われるようになっていきます。この頃、晩年の父にとっては経済的には人生の中で一番不遇な時期でした。何回か前の日記に父のところにお金を取りに来た人のことが記されていましたが、多分この借金は父が責任を持っていた会社が倒産し、そのためこの人に父が個人的に借りものではなかったかと思われます。会社倒産後自分ではじめた仕事もうまくいかず、この頃は個人的に橋本の薬屋を手伝って生活のたしにしていたのではないかと思います。私はそのような父を見捨てて神学校に入ったことになり、その頃のことを思い起こすと、内心忸怩たるものが今でもあります。

 
              父北村雨垂とその作品(113)


 1964年(昭和39年)日記より(その6)

 雑草は神を否定しその種子はそれを否定した

 青年の無知よ 飛魚は船を追う

 青年 昏々とねむる 無知こそ素晴しい素材

 石はバクンと水に消え 青年は死を逃げる

 假すい昏すい 辻でみた地蔵尊
 
 鐘がなると限界が沈む 家も人も

 無知のえくぼ 生き生きとしたえくぼ

 どんぞこの陣痛よ 眞紅な太陽を生め

 父と子のひづみ 桜は秋に咲かぬこと

 ヌード劇をみた 昔地ごくえづをみた

 こぼれる慈悲よ ヌード女優の目玉

 夢に歩く 行きつく夢の城に歩く

 泡沫は死んだ 永遠も共に死んで行った

 夜は男も女も 南京花火

 完ペキが珠だ 個性が昇天した

 小説を読むか 駄菓子でも食うか

 オリンポスとタカマガハラは稀有の名作

 天に非をわめく組みたてられたいのち

 彼等のために筋の通た彼等の会話

 ゆくすえを聴かれていまも考慮中

 満ちたりた老農の顔 石佛

 酒の斑点(しみ) 太陽に 明日ある事は確実(たしか)

 むじゅんだと想う!! 咽喉佛が動く

 哲学は完成した ひとりの人生は終った

 若い女性の感触だ あわれ秋の新芽

 月の馬鹿火星も馬鹿だ太郎花子