なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

あれこれ(1)

 これまで「牧師室から」と言う文章を、時々この私のブログに掲載してきました。これは紅葉坂教会の

機関誌に書いたものです。それが終わりましたので、それに代わる何か私のつぶやき、その時々に考えて

みたこと、読んだ本から刺激をうけたこと等々を「あれこれ」今後掲載していきたいと思います。前に書

いたものも入れながらいきたいと思いますので、よろしく。

 現在私のブログに「父北村雨垂とその作品」を掲載していますが、私の父について、かつて紅葉坂教会

の週報コラムに書いたことがあります。それを下記に再録します。このブログをはじめた最初の動機につ

いても記されています。ただブログについては、最初の動機の通りに進行しているわけではありません。


 私の父親は70歳の時に脳溢血で半身不随になり、15年間ほぼベットでの生活を続け、1986年に85歳で

亡くなりました。若い時には多分共産主義運動の親派だったと思います。父は現代川柳をやっていて北村

雨垂と称し、川上三太郎の現代川柳社と関わっていましたが、川柳観の違いなのか、喧嘩別れしたようで

す。私が父の句で唯一記憶しているのは、

 「北風に柿が某戦犯の夢を描いた」

だけです。ここでの戦犯はシベリヤ抑留者を指しています。この句は具象的で分かるように思いますが、

父は西脇順三郎などのシュルレアリズムの影響を受けたのでしょう。晩年になればなるほど具象からは遠

ざかったように思います。『現代川柳ハンドブック』(1998年、雄山閣出版発行)の中に父の句が数句載

っていますが、1983年作の一句を紹介してみます。

 「ボロ紙の思想は昇天したよ 野菊」。

 その父が生前私に向かって言った言葉が今でも気になっています。それは、「お前は宗教家だろう。辻

説法はしないのか?」です。父のイメージの中に、キリスト教の牧師と言えば、路傍伝道者の姿があった

のかも知れません。あるいは、私の牧師としての在り様が教会の内側に終始していて、この世に向かって

の発言が余りにも少ないということに疑問を感じていたのかも知れません。父の中では宗教家と言えば、

日蓮のような人物が思い浮かんだのでしょうか。この言葉を私に向けて語った父の真意を聞く機会を持つ

ことのないままに父は亡くなりましたが、この言葉は今でも私の中では父から与えられた宿題のように残

っています。

 最近娘から「お父さん、「ブログ」をやったら?」と言われ、現在「ブログ」の研究中です。ネット社

会での辻説法(路傍伝道)の機能を「ブログ」が持っているとすれば、父の問いに答えられるかも知れな

いと思うからです。

                         (2005年8月28日紅葉坂教会週報コラム)