なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(14)

 以下は以前に教会の機関紙に書いたものです。
 
 私は小学生時代の3人の友人と今でも付き合いがあります。と言っても、会うのは多くて年に一度で、数年会わないこともありますが、会えばそれぞれ別の道に長いこと生きていますが、昔のように何の隔てなく心が通い合います。昨日も4人で会いました。正確には3人で会い、40台の時蜘蛛膜下で目が不自由になって今はホームでの生活をしているもう一人の友人を、今日熱が出て入院したばかりの病院に見舞いました。われわれも70歳を越えました。そろそろ終わりも近づいていますが、元気でいる限り、これからもたまに顔を合わせてそれぞれ遠慮なく勝手なことを言い合いたいと思います。
              
                  牧師室から(14)

 貧困と戦争が、コインの裏表であるということを、堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカ』を読んで改めて考えさせられています。数年前に辺野古の新基地建設反対のテントに数日座り込みをしたときに、辺野古の美しい海を眺めながら、しみじみと辺野古と寿が根底で繋がっていることを感じました。日雇い労働者や野宿者の命と生活を守ることと、戦争に反対し平和を造り出すことが一つであるということです。
 アメリカの社会では競争激化と教育も福祉も医療も民間委託による政府の役割放棄によってどんどん貧困層が広がっていて、どうすることもできなくなった若者が最後に行き着くところが軍であるというのです。私の息子が18歳くらいの時、今からもう20年前になりますが、彼の同級生の一人が自衛隊に入ったというのです。その時も自衛隊に入れば確実にお金がたまるということでした。でもその頃はまだ、自衛隊の方の勧誘は熱心でしたが、自衛隊に入る若者は自衛隊に入る以外に生きる道がないというほどではありませんでした。他にも仕事はありましたが、自衛隊に入る方が楽だし、お金がたまるという選択の問題だったように思います。ところがアメリカの貧しい若者は軍に入るしか生きる方法がないというところまで追い詰められているようです。アメリカを後追いしている日本でも、卒業生の就職先に自衛隊をという高校も出始めているということです。
 貧困へとすべり台を滑り落ちるように落ちてしまう社会(湯浅誠)ではない社会をどう造り出せるか。この問いにキリスト者である私たちも応えていかなければならないと思います。                                                     2009年3月

 
 連れ合いがネットで購入した『精神分析を受けに来た神の話』という本を読みました。この本は、自分は神だと思っているゲーブという人物と精神科医との対話という形で書かれています。時々ゲーブという人物の言葉にはっとさせられます。いくつか紹介してみましょう。
「私は、自分が宗教的であることを誇示しながら他の人間に対して有意義なことを何一つしない人間よりも他人の救済に生涯をささげる無神論者を尊敬する」。「実を言うと、神である私は、善の達成、そのためにのみこの世の働きを演出する。私が地球上に人間を送る目的は彼らが互いに助け合って生きてゆくようにすることだけだ・・・神の仕事は人間の連帯を造りあげることだからだ。だが、神である私は人々の助けなくしてはこの世に愛を育むことはできない。私は人々の助けなくしては基本的に無力な存在なのだ」。「この世の安寧は神である私の肩に掛かっているのではない。それはひとえに善に貢献する力を持つ人々一人一人の双肩に掛かっている。善への貢献、それは自分よりも不運な人々に何かを与え何かを他人と分かち合える特権に恵まれた人々の生得の責任なのだ。このような責任は、生まれた環境や文化とは関係のない、人間が求めるべき共通の指標なのだ」。「人がどんな信仰を持とうがそれは問題ではない。問題はその信仰によりその人が何をするかだ」。
特に最後の言葉はキリスト者には厳しい言葉です。数千年のスパンでその信仰が人から人へと継承されてきた世界宗教と言われますキリスト教の中にも、信仰による「仕える」人の生き方の継承が脈々と流れていることを信じたいと思います。                        2009年4月                                 
 
 かつて1970年に大阪万博が開催されたとき、万博来場者にキリスト教を伝道するためのキリスト教館を出展すかしないかで教団を二分する議論になりました。1968年10月開催の第15回教団総会では万博キリスト教館出展が、一度否決した議案が形を変えて可決されてしまいました。その後の激しい反対で一時教団総会開催もできなくなり、再開された1974年12月開催の第17回教団総会では「『日本万国博覧会キリスト教館に関する件』の決議の誤りを認める件」が可決されました。この時の万博伝道に対する反対の理由は、ベトナム戦争特需で日本の企業が力をつけ、再びアジアに経済侵略するための企業の祭典である万博で無批判に伝道するということは、「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を出した教団としてはふさわしくないということでした。万博伝道は、戦時下戦争協力をした教団の誤りを再び犯すことになるのではないかという問題提起です。
 現在教団では「日本伝道150年記念行事」が準備委員会によって進められています。その一つに「日本基督教団創立記念礼拝」が6月24日富士見町教会で行われることになっています。教団創立を無自覚に祝うこの事業には、教団成立が戦時下の教団の国家権力への屈従・内応という教団が犯した誤りを内包しているという問題意識も反省も全く感じられません。150年以前に行なわれたベッテルハイムによる琉球(沖縄)伝道を踏まえるならば、150年という区切り方は沖縄を切り捨てることになるのではないかという問題提起も全く無視されています。その意味で、この事業は形を変えた万博伝道ではないかと私には思われてなりません。                              2009年5月


 たまたま農村伝道神学校の戦責告白講座で話をして欲しいと頼まれて、改めていろいろ資料に当っていましたら、こんな文章に出会いました。私の友人で茅ヶ崎教会牧師の櫻井重宣さんが「『戦責告白』40周年を覚える神奈川集会」で発題してくれたときに用意してくれた資料の中にあったものです。『特高資料による戦時下のキリスト教運動3』からのもので、1942年6月26日ホーリネス系諸教会(第6部。第9部)弾圧の際に教団統理富田満が警視庁で述べたものです。
 「今回の事件は比較的学的程度が低く聖書神学的素養不十分の為、信仰と政治と国家といふものを混同して考へた結果とは云へ、教団にとって洵に悲しむべき出来事であり、統理者としても充分其の責任を感じてゐるのですが、又一面基督教者に対し今後の向うべき方向を明確に示されたやうな気も致しますので、却って好結果を齎すことになるのではないかと思います。何しろ現在の日本基督教団は其の教理信条と歴史的伝統を異にする新教三十余派の団体が部制の採用で連盟式に結合されたものであり、今尚純信仰(純福音)と自称して今回結社禁止処分を受けた団体の信仰内容に似通った信仰理念を抱持してゐる教役者も相当多数に上るのではないかと思はれるのであります。そこで斯かる教役者に対しては教団として地域的に一堂に集め再錬成をなし、統一的教理信条を確立したいと思ってゐます」。  戦時下ホーリネスの方は、公権力と向かい合うだけであれば、それなりに闘い得たが、つらかったのは自分たちを切り捨てた同じ信仰の仲間の態度だったと言っています。この問題は現在もなお克服されていない私たちの課題ではないでしょうか。                               2009年6月