なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(12)

 昨日は「さよなら原発 10万人集会 7/16」に参加しました。代々木公園サッカー場にメインステージがあり、12:15から15:00まで集会がありました。私は最初から参加し、その集会場のステージ近く、「キリスト者平和ネット」のグループの場所に座っていました。照りつける日差しと、強風によって舞い上がるグランドの土埃を気にしながら、ステージからのメッセージに耳を傾けていました。オープニングライブでは小室等らが出演。開会挨拶の後、この集会の「呼びかけ人の訴え」として鎌田慧坂本龍一内橋克人大江健三郎落合恵子澤地久枝瀬戸内寂聴の各氏からありました。その後発言として広瀬隆大飯原発現地から僧侶の中しま(嶋の俗字で鳥の上に山がある漢字、わたしの技術ではパソコンから出せませんでした)哲演、福島から武藤類子の各氏の発言が続きました。途中予定されていない人がマイクを取り、枝野を弁護する発言をはじめて、会場からも「やめろー」という叫びもあり、マイクが切られ、主催者によって演壇から降ろされるというハプニングもありましたが、フライグダッチマン、スイシンジャーのライブで集会が終わりました。

 その後テモ行進が、渋谷方面、新宿方面、千駄ヶ谷の明治公園の3コースに分かれて行われました。私は明治公園コースに参加し、午後5時頃明治公園に着きました。解散して、公園の入口を入ってところで、滋賀の牧師のTさんと出会い、挨拶を交わして別れました。

 私は今回ほど多くの人数のデモに参加したことはありません。主催者側は今回の集会参加者を17万人と発表しています。今日の新聞では警察側発表は7万5千人とありました。多分70年の頃ベ平連のデモに何回か参加しましたが、その時も今日ほどの人数ではなかったように記憶しています。伝統的な労働組合、さまざまな市民運動、70年代のセクトの流れだけでは、これだけの人数が集まるとは思えません。明らかにネット社会の影響ではないかと思われます。ネットによって個人と個人が直接結びつき、個々人の呼びかけに応えて、その人がまた呼びかけるという循環によって思わぬ数の人が今回のデモに集まったのではないかと思います。

 情報の共有と権力や組織に媒介されない個人と個人の関係のルートをネットというツールによって得ている我々には、確かに権力支配を越えて直接結ぶ関係の可能性が生まれていると言ってもよいのかも知れません。メディア以外に情報を伝えるツールがなく、そのメディアが権力と金力によって支配されて、一方的な情報の垂れ流しでしかなかったネット以前の社会とは、現代は根本的にその状況に変化が出ていると言えるのでしょうか。なかなかネット社会についていけない一人である私としては、まだその判断ができないであるところです。

 さて今日は「牧師室から(12)」を掲載します。


               牧師室から(12)
              
               (以下の文章は、かつて教会の機関紙に書いたものです。)

 私たちはたまたま紅葉坂教会に導かれて、教会員として信仰生活をするようになったという人が多いと思います。その導かれた紅葉坂教会は日本基督教団紅葉坂教会です。ご存知のように日本基督教団は1941年に成立しましたが、その成立は当時の教会および信徒・教職の自由な主体的決断によってというよりも、数年前に国の法律としてできた宗教団体法による国家の強制による面が大でした。ですから、日本基督教団の成立には「キリストの主権に従う教会」にとっては大きな問題がはらんでいました。当時の日本の国家は現人神としての天皇を頂点とする天皇制支配国家でした。ホーリネスの牧師が弾圧されたのも、天皇と神とどちらが上かという官憲の問いに素朴に神と答えたからだとされています。同じ問いを官憲から受けた他教派の牧師の中には、ホーリネスの牧師のようにまともに答えないでうまくやり過ごした人もいたようです。ただ日本基督教団はその成立において国家権力の枠組みの中にある教会を選んだということは否定できません。

 1967年イースターに鈴木正久議長名で出された「戦責告白」の中にも、「わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります」と明記されています。その成立とそれにつづく戦時下に誤りを犯した日本基督教団に所属する教会に紅葉坂教会はなったのです。そういう歴史をもっています紅葉坂教会ですから、たまたま紅葉坂教会の教会員になったと言う人でも、この日本基督教団紅葉坂教会の負の歴史をどのように乗り越えていくのかという課題を負っていることを覚えたいと思います。
                     
                                   (2008年7月)

 日曜学校の夏期キャンプが箱根の千條旅館で8月9日から11日に行われました。この千條旅館は小涌谷にあり、箱根小涌園という大きな旅館の近くです。I牧師の時にも日曜学校の夏期キャンプにいったことのあるところで、紅葉坂教会日曜学校にとっては十数年ぶりです。

 実は私個人にとっても千條旅館は思い出深いところです。先日六角橋教会のD牧師が召され、六角橋教会で行われた前夜式に私も参列しました。そのD牧師が教団の書記をしていたことがあります。70年の頃万博・東神大問題、教師検定問題が立て続けに起こり、教団総会が開けなくなりました。常議員会も機能しなくなり、教区議長会が中心となって、しばらく開けなかった教団総会が再開されました。その再会された教団総会で議長に選ばれたのが当時名古屋教会の牧師のTさんでした。その時Dさんは書記に選ばれました。実はこの再会された教団総会が行われたのが箱根小涌園でした。

 私は当時教師検定試験受験拒否をしていましたので、当事者として教団総会の準議員に選ばれ、この再会教団総会に出席しました。その時宿泊したのが教団総会が開かれた小涌園ではなく、千條旅館でした。この再開教団総会後2、3回続けて教団総会が小涌園で開かれました。万博・東神大、教師検定問題以来問題提起者と言われた教団に批判的に関わる人たちが千條旅館に泊まっていて、当時「ちすじ」派などと呼ばれていました。小涌園で夜9時頃総会の議事が終わると、「ちすじ」派は千條旅館の広間で喧々諤々と議論をしたものです。或る年そんな議論の最中に千條旅館の広間の片隅で、私は既に召されたYさんと囲碁をうっていました。今では本当に懐かしい思い出です。 
                   
                                      (2008年8月)

 血の絆というものは大変不思議なものです。若い時にはその絆である家族の拘束から出来るだけ離れて行こうという思いが強くありましたが、今はできることはしていこうという気持ちでいます。とは言っても、そんなにできることは多くはありません。たまたま先年階段で転び蜘蛛膜下で急死した兄の娘、私の姪が昨年結婚しました。その結婚式で叔父の私が父親代わりということで、姪と一緒に歩きました。はじめての経験で大分あがってしましましたが、何とか役割を果たすことができました。結婚式はおめでたいことですので、気持ちも軽かったのですが、最近妹が兄同様に急死し、仏式の葬儀告別式の後の遺族親族代表の挨拶を私がいたしました。

 妹は8月23日夕方犬の散歩に出ましたが、その犬が20キロの体重がある3歳ぐらいのビーグルで力が強く、たまたま同じ散歩の犬と出会って急に走り出したようです。妹は電信柱に右脳を強打し倒れて側溝にも頭を打ち付けたのか、救急車で運ばれ緊急手術を受けましたが、脳全体に血液が充満してしまっており、その段階ですでに脳死の状態に陥りました。10日ほど意識のない状態でいましたが、9月3日62歳でこの世を去っていきました。

 妹の入院中葬儀と、一人だけになった姉と多くの時間を共有しましたが、或る時ポツンとその姉が言いました。兄も妹も急死したので、「呪われているのではないか」と。私は「そんなことはないよ」と答えましたが、宗教的な観念が妹の死に悲しむ姉をさらに苦しめるのかと思うと、観念のもつ恐ろしさを強く感じさせられました。キリスト教にもいろいろな観念があります。その中には同じように人間を苦しめるものもあるのではないでしょうか。
                                      (2008年9月)

 文明の進歩発展が人間を幸福にするかどうかは、そう簡単には判断できません。先日新しい家電製品の展示会の様子がテレビで放映されていました。それを見ていて、精巧なロボットが介護をはじめ人間に代わってその働きを担う時も近づいているように思われました。より高い利便性を求めて科学技術の進歩を追究していくのは、ある意味で自然なことですし、それを利用して生きる人もまた自然な流れでしょう。地球温暖化を防ぐ一つとして、ある時期自動車には乗らないということがいわれたことがありありました。私の友人にもそれ以来自家用車は持たないという人がいます。私自身も若い時には自動車を運転していましたが、21歳で神学校に入学した時に、免許を返上してしまいました。それは環境問題への関心からではなく、自分が自動車の運転には向かないという単純な理由からです。自動車を運転していた時には追突事故、一時停止違反などを繰り返していたからです。煉瓦の塀に自分が運転していた自動車を激突させて、気がついた時には救急車の中だったということもありました。今振り返れば、あの時自動車免許を返上したのは正解だったと思います。

環境問題のためにみんながエコロジストにならなければというのも、ある種の全体主義的な考え方ですから、私は好みません。そういう人もいていいでしょうし、環境問題も科学技術の進歩によって克服しようという人がいてもいいと思います。ただ言えることは、文明の進歩は必ずしも人を幸福にしないという事実の認識です。聖餐の問題も開くか閉じるかが問題ではなく、教会がイエスの仕えの方向にあるかどうかということではないでしょうか。
                                     (2008年10月)