黙想と祈りの夕べ通信(581)復刻版を掲載します。2010年11月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(581)[Ⅻ-07]2010・11・14発行)復刻版
7日の日曜日は礼拝後K伝道師の辞任の臨時総会があり、続いて私の免職問題で全体集会があり、さら
に役員会が終わったのが午後5時半頃になっていました。この日は午後6時から「かながわ明日の教団を
考える会」もありましたので、Tさん、Hさんは午後9時半近くまですべての会議に出席してくださいま
した。本当にご苦労様です。お二人は、何よりも私の免職問題を、聖餐を非受洗者にも開くことを教会
総会で決定した紅葉坂教会の問題として、その教会の一員として、一貫して自分の問題として担ってく
ださっています。その姿勢を、私は本当に嬉しく思っています。
2002年秋の第33回合同後18回教団総会で、沖縄教区提案の名称変更議案をはじめ合同のとらえなおし
関連議案がすべて審議未了廃案になって、沖縄教区の総会議長であった山里勝一牧師が、「さようなら」
と言って、総会議場を去り、それ以来沖縄教区は「教団とに距離を置く」ようになりました。その年の
暮れに「かながわ明日の教団を考える会」第1回集会を、私も加わった5名の呼びかけで立ち上げました。
この会の綱領に当たるものは、以下の通りです。
「かながわ明日の教団を考える会」は第33・合同後18回教団総会後に下記の《最低限の確認事項》に
賛同共有する有志で活動している会です。
~この「会」に参加する者の最低限の確認事項として、神奈教区形成基本方針に立って、われわれの宣
教の課題としてa)戦責告白の線、b)「合同のとらえなおしと実質化」を推進、c)靖国・天皇制情報
センター、在日・日韓、性差別問題特別委員会の継承という方向性を共有する。
その上で、この「会」の活動としては、a)神奈川教区内有志信徒・教職間のネットワーク(情報そ
の他)、b)教区政治への対応、c)全国的な働きとの繋がり、をめざす。~
今回は41回目の開催になりました。私がずっと事務局の責任を引き受けています。そろそろ若い人た
ちにバトンタッチしていかなければならないと思っています。今回の「かながわ明日の教団を考える会」
では、10月末に開催された教団総会報告と今後の対応について意見交換をしました。その中で数名の他
教会の人から、私が来年3月で紅葉坂教会を辞めてしまったら、この問題は担えないのではという不安か
らでしょうが、私は来年4月以降も紅葉坂教会に留まるべきだと言う意見が出ました。HさんとTさんはそ
の対応に苦慮されていましたが、私はご意見としては承っておきますと言って、これは紅葉坂教会の問題
ですからと申し上げました。もちろん来年4月以降、私は紅葉坂教会の牧師として留まるつもりはありま
せん。これは5年前の4期再任を役員会で諮った時に、まだ再任問題が露呈しなかった段階で私の方から
役員会に申し出たものです。教団ではこの5年間で非受洗者への配餐執行をめぐって私への「教師退任勧
告」及び「戒規免職問題」が新しく起きていますが、それはそれとして、私の4期16年で紅葉坂教会を辞
任するという約束とは別に考えていきたいと思っています。ただ紅葉坂教会にとっては、私が辞任しよ
うがしまいが、非受洗者に開かれた聖餐との関連で、私の免職問題は、この問題の解決が見出せるまで、
教会の問題として担っていかなければならないと思います。その担い方は、私が紅葉坂教会の牧師でい
る時と、辞めた後では違ってはくるでしょうが、もし今後紅葉坂教会においてこの点が曖昧になってい
くようなことがありましたら、おそらく私の免職問題で私と紅葉坂教会を支援してくれています諸教会
および信徒、教職の方々の信頼を失うことになるでしょう。このことだけはよくよく覚えておいていた
だきたいと思います。
「かながわ明日の教団を考える会」で10月末に開催された教団総会の「議案ガイド」なる小冊子を手
に入れました。その小冊子の表題は「伝道する日本基督教団の形成のために」です。その表題の下には
「日本基督教団信仰告白に立ち、教憲・教規に基づき、洗礼と聖餐を重んじ、伝道の使命に生きよう!」
と記されています。選挙で名前を書くべき教団三役・常議員の名簿だけではなく、主な議案の目次があ
り、それぞれの議案に関し「賛成し承認すべき議案」には○印、「反対し否決すべき議案」には×印が
付されています。さらに一つ一つの議案について賛成と反対の理由が補足説明として記されていて、こ
の議案は「原案通り可決しましょう」、この議案には「反対しましょう」と促しの言葉が添えられてい
ます。A5版16頁に及ぶ小冊子です。私はこれを見て唖然とし、こんなマニュアルに従って賛成反対を投
ずる過半数を越えた議員によって構成されている教団総会を振り返って、改めてFさんに退廃した教団
から「免職されておめでとう」といわれたことを思いめぐらしました。
「交わりの内に生きることの実り」 11月14日
私たちの社会では、個人主義がもてはやされています。私たちは何を考え、何を言い、何をしても、
それは個人的に行ったことで、個人的に注目を集めるのに値するものだと信じるようにと、絶え間なく
仕向ける風潮があります。けれども、聖徒の交わりに連なっている私たちは、霊的に価値のあるすべて
のものは、個人的に成し遂げられたものではなく、交わりの生活がもたらす実りであるということを
知っています。
神と神の愛についての知識、イエスの生涯、死、復活についての知識、教会とその働きについての知
識はすべて、見返りを必要とする私たちの知性が作り出したものではありません。それは、イスラエル
の民と預言者の時代、イエスと聖徒たちの時代、私たちの心を形作り育ててくれたすべての人々の時代、
こうした長い歴史を通して、私たちに伝えられて来た知識です。真の霊的な知識は、聖徒の交わりを通
していつの時も伝えられてゆくでしょう。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)