なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(116)

                父北村雨垂とその作品(116)

    1964年(昭和39年)の日記より(その8)

 生きる努力といふものは水と陸の境界を示す汀の様なものではない。いはばギリギリの生活線を往くといふことではない。といふのは、汀の様な最底の線を往く生活はすでに死の方がはるかに住みよい境地である。人間はたとえ如何なる生き方を強いられても、その最底の生き方のうちに或るブレがなくては生きられないものだからである。と私はこの年になって始めて理解できた。といふのは或るおんなが、その家族と共に生きる努力をしてゐる姿をみたときがある。そのおんなはもし前述の汀の生活をもって、次の時間を待たうとしたら、そのとき出来ないことはなかった。

 少くとも私の目に写ったり、実際その中にたちいって体験した、経験の総合からは、はるかに汀から離れた、陽のめぐみに満たされた陸を歩いてゐたからである。

 彼女は、その日、その日の食事に決して不自由をしなかった。否、米味噌は彼女にとって、全く関心の外におかれてゐた。さうして この危機は彼女から十分な・(?)・の間隔を置いてゐた。彼女は朝に夕に酒に浸ってこの危機を回避したのだ。

 讀者はこれで彼女の行動が理解出来たのではないだらうか。

 さてここで私は想うのである。男といふものは、全くだらしがないものだ。この藝当は絶對に男には出来ない、体質だからである。

 男である私の最も残念に考へているひとつである。



 十月二十三日の東京オリンピックは、柔道の神永五郎がヘーシング六段に惨敗して、女子バレーが圧倒的にソ連チームに勝った。戦い終わって共に涙を流してゐたことを、ラジオやテレビで見たり聞いたりした。解説者もアナウンサーも相当ヱキサイトした声で、報道した。而し私は、神永は敗けるべくして敗け、日防を主体とした女子バレーチームは勝つべくして勝ったように考へる。

 翌二十四日の新聞ではヘーシングは強すぎると書いてあったが、確かに強いことは、彼が日本の最強者神永に勝ったのだから、まちがいない。而し強すぎるということはなからう。技では決して神永より強いとは考へられぬ。問題は体格である。二メートル以上もある大男と一メートルを七、八十センチ程度しかない神永とでは、それ自体で勝敗は瞭らかである。技はその体格によって、磨がかれたものである。その体格を無視して、技だけを重視する事は余りにも観念的である。神永の得意技がヘーシングに効かない事を、その道の大家や神永自身に気付かなかった事が私には不思議に思はれるのだ。ヘーシングは、その日のインタビューで「私は頭で勝った」と言ったさうだが、日本柔道界の総てを集めて絞った知恵が、一人のヘーシングに及ばなかった事に、彼等が気づかなかったのが敗因であり、気の毒なのはひとり神永だけである。全く気の毒の限りである。

 日本の女子バレーは全く危なげなくソ連のチームに勝てた。その要因はなにか。それをいちばんよく知ってゐる人がある。大松氏である。バレーの何もかもを全く知らぬ私が、到底伺い知ることは出来ないが、ヘーシング對神永ほどではないが、体かくのはるかにまさるソ連のチームに勝てた要因は、ボールという無生物で媒介として競技だからである。この無生物を媒介とするところにバレーと柔道の違いがあると、私は確信する。大松氏がそこに家を忘れ、俗世間のくだらぬ批判を無視して、日防チームを育てた努力も彼の透徹しつくした信念がそこにあったことだと考える。單なる勇気や空虚なヤマトダマシイでは勝負を左右することは出来ないものである。

 生きること自体が最早論理の正確さを必要とするゆえんだと思う。


     いしくれがいっぱいだ どの神を拾う