なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(65)

           船越通信癸僑機  。横娃隠嫁7月8日     

・7月1日(日)礼拝後テーマ話し合いを持ちました。今回は船越教会の「平和センター宣言」についてです。発題者のS.N.さんが欠席で、S.N.さんが用意してくれましたレジメを最初に話し合いの司会をした私が読み、その後この宣言に関わった方から発言をしてもらい、続いて最近船越教会のメンバーになった方の意見を聞きました。S.N.さんの用意してくれたレジメは下記のとおりです。

・なぜ横須賀平和センターか。    学習会資料,’12-7-1  by S.N.

・1989年会堂再建築の時、単に教会堂に“がた”がきて雨漏りや水周りが腐ったから再建築するというだけでなく、船越教会が教会であると同時にクリスト者であると否とにかかわらず平和を求める人々のセンター的機能を持つものにリニューアルしたいとの願い があった。そうなら不足していた建築資金を賛同してくださる仲間たちに広く求めてもいいのではないかということで多くの人々にご協力をいただいた。ここは日曜日に礼拝を行う聖なる場であるけれども、週日は近隣を含め必要とする人に“多目的ホール”として活用され、それが結果として小さな平和の営みの場でありたいと何回も確認し合った。

・平和センター宣言の成立ち:そのころある会員がニュージーランドクライストチャーチの街で、とある教会に遭遇した。教会のドアーを見上げると金槌をにぎった逞しい働く人の太い手だけを描いたステンドグラスがあった。よく見るとその扉に教会のメッセージが一枚の板に刻印されていた。たしかその地に立つ教会の存立意義と招きの宣言だったと思う。これがヒントとなって有志で平和宣言を纏めることになった。ある礼拝の後、呼びかけに応じてI.I.さん、Iさん、Hさん、Kさん(現Mさん)、Sさん、S.N.、M.S.さん等が集まった。先ず平和宣言を起草するにあたってそれぞれの想いを込めてみんなで平和のキーワードを出し合った。ランダムに並んだキーワードを四苦八苦しながら宣言文として纏めた。それは正に凝縮された時間であり、新生船越教会の新しい信仰告白ではないかと思えた。翻訳して現在ある平和センター宣言のプレートとして掲げられている(教会堂の外壁に)。

・平和センターの歩み:横須賀平和センターは教会だけのものでない。平和を願うすべての人々に開かれている。当初センターの運営委員会は当初教会役員と教会に比較的よく出入りしていた横須賀市民グループの方々とで構成されていた。フィリピンや韓国の民主化のために支援活動している人々を受け入れての交流会や音楽会も開かれた。教区の靖国小委員会や在日韓国高校生等の修養会、ピースサイクル、フィリピン活動家等を研修や宿泊の場として利用された。しかし最近運営委員会は休止状態で教会役員会の議案の一つとして運営を話し合う程度のことが多い。このことは教会全体で平和センターの活動を推進する力が不足してきている。地元に暮らす会員の減少と遠隔地から通う会員が増えた事実に起因すると思われる。従って今横須賀平和センターの活動は個人個人がそれぞれの生活圏の場での身の丈に合った活動に変化しているように感じられる。現状を踏まえて今後どうするのか再検討の時期に来ている。

・宣言文の見直し:“私たちは戦争責任に基づき飢餓、地球破壊、差別、軍事力、核等のあらゆる抑圧から解放され自由、人権、世界平和の実現を求めつつ、戦う民衆として前進することをここに宣言します。”(以下英文省略)

・平等というキーワードを追加したい。飢餓にしろ、人権にしろ、自由にしろ,それらを実現するには平等であることが前提となる。大は9.11以後米国一極支配が世界を危うくしている。権力者たちは平等を認めず、平等であることを恐れている気配である。小は家族崩壊。父親であろうとゼロ歳児であろうと人権は平等である。経済的、肉体的上下関係を押し付ければやがて不平等の付けを払わされることになる。多くの争いが自らに有利な差別化を求め、平等を認めることができないことに端を発していることが多い。

・話し合いで出た主な意見を羅列しておきます。

* 宣言の内容に現在の教会の営みが合っていない。看板は作り直し、宣言と教会の中味が合うために、教会に社会委員会をつくって、第3週に活動したらどうか。
* この宣言の作成に参与した人たちの中に来なくなった人もいて、活発に活動していた時期もあったが、そのうちにいろいろなことがあって教会としてのエレルギーもなくなり、人もいなくなった。新しい人の意見も聞いて、もう一度確認する必要があるのではないか。
* T.K.牧師の時代に日韓、フィリピンの活動が活発になり、市民運動の人たちが会堂建築に力を貸してくれた。センター宣言に掲げられている理想に少しでも歩み寄っていけたらというのが希望。またこの理想によって一つになりたい。
* いろいろな意見があり、新しい方のリクエストも聞くことも必要ではないか。
* ジョン・レノンのイマジンのイメージで、平和を願うイメージをもつことはよい。
* 宣言文はそれでよいが、横須賀の市民運動との関係や教区のいろいろな委員会活動との関わりの中で、ゆっくりソフトに出きることからやっていけばよいのではないか。
* 〈戦う民衆〉よりも〈人権、世界平和の実現を求める民衆として前進・・・・〉が自分には合う。この宣言文は、教会に集う一人一人がそれぞれの生活の場で様々な運動に関わっていれば、その内実をつくっていることになるのではないか。「平等」を加えることには賛成。
* 船越教会が横須賀の平和運動のために場所を提供することができればと思う。
* この宣言文を作った時期に自分は教会を離れていて、宣言文作成に関わっていないが、これを作った時はみんな若かった。今は年齢が上がっている。盛り上がって、すぐ沈下するのではなく、現在のみんなの体力と気力を考えて、スローに長く続くように考えたい。

・話し合いの最後に、今年度予定の特別集会の持ち方について意見を聞きました。既存の教会から離れている人も来れるような集会を希望するという意見あり。