なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(13)

   「大地は混沌とし」エレミヤ書4:23-31、2015年7月5日(日)船越教会礼拝説教

・皆さんは現在の日本の情況、世界の状況をどのようにイメージとして描くでしょうか。例えば現在の日本を

考えてみてください。東日本大震災と福島東京電力第一原子力発電事故後の状況、沖縄辺野古の新基地建設、

経済的格差の広がり、安保法制に見られる安倍政権の暴走と戦争のできる国造り、年金が少額という不満を持

つと言われる70代の人のガソリンによる新幹線での焼身自殺、頻繁に起こる殺人事件、人身事故による電車の

ダイヤの混乱、火山活動の活発化、豪雨による自然災害の頻発、あげたらきりがありませんが、そういう日本

の情況を描くとすれば、どのようなイメージでしょうか? その根底にどのような問題を見るでしょうか?

預言者エレミヤが直面していたイスラエルの民の現実は、北王国イスラエルのアッシリヤによる滅亡後の南

王国ユダの現実でした。まだヨシヤ王の宗教改革の兆しが見えないところで、アッシリアバビロニアの覇権

国家の脅威に怯え、強国の傘の下での安定を望み、ヤハウエ信仰からバアル崇拝に鞍替えして恥じないイスラ

エルの民を、エレミヤは目の前に見ざるを得ませんでした。まだ若い預言者であったエレミヤは、周りの状況

によって左右されるイスラエルの民のふがいなさを嘆かざるを得ませんでした。今度は「北からの敵」(騎馬

民族スクテヤ人か、新バビロニア帝国か)の襲来が迫っています。イスラエルの民は不安と恐れで、ますます

契約の民としての彼ら本来の歩むべき道を見失って、覇権的な国家の動きに翻弄されてしまっています。

・先ほど司会者に読んでいただいたエレミヤ書の箇所は、そのような「北からの敵」が迫っている状況におい

て語られた、エレミヤの初期の預言の一節と言われています。特に23節から26節までは、エレミヤの見た世界

がエレミヤの言葉で語られていますが、そこには<創造の世界が混沌に帰ろうとする>様が直視されています。

・<わたしは見た。/見よ、大地は混沌とし/空には光がなかった>(23節)。ここに「混沌」という言葉が

使われていますが、混沌と言う言葉は旧約聖書の中では、ここと創世記1章2節の2か所だけにしか出てこない

言葉です。ちなみに創世記1章2節のところを読んでみたいと思います。<地は混沌であって、闇が深淵の面に

あり、神の霊が水の面を動いていた>。この創世記1章2節の言葉は、神が創造された世界に秩序を作り出す以

前の状態を描いているものです。そして3節で<神は言われた。「光あれ」。こうして光があった>と記され、

その後神の創造の業が縷々記されていきます。昼と夜が分けられ、時間が創造されます。そして天と地が分け

られ、地は陸と海に分けられます。次に地には草木を芽生えさせます。更に月と太陽がつくられます。水の中

には生き物を、空には飛ぶ鳥が創造され、地にも獣や家畜の生き物が創造されます。そして最後に男女の人間

が創造され、人にすべてを治めさせます。そのように神の創造の業が完成し、混沌の世界が秩序立てられた世

界になったと、創世記の天地創造物語では記されています。

・その神の創造された世界の一角である、神の約束の地パレスチナイスラエルの民は生活基盤を与えられて

生きてきました。アブラハムに始まる族長時代から、モーセによるエジプト脱出を契機に部族連合としてイス

ラエルの民はパレスチナの地で歴史形成をしてきました。エレミヤ時代には、部族連合から王国となって、ダ

ビデ、ソロモンの統一王国が南ユダと北イスラエルに分裂し、北は既にアッシリヤに滅ぼされていました。南

ユダも北からの敵が近づき、いつ滅びるかわからない状況にありました。そのような状況の中でエレミヤはこ

の預言を語ったのです。

・まだ南ユダは北からの敵の脅威を受けてはいますが、滅んだわけではありません。しかしエレミヤはその状

況の将来を幻視しているかのように、<わたしは見た。/見よ、大地は混沌とし/空には光がなかった。/わ

たしは見た。/見よ、山は揺れ動き/すべての丘は震えていた。/わたしは見た。/見よ、実り豊かな地は荒

れ野に変わり/町々はことごとく、主の御前に/主の激しい怒りによって打ち倒された>(23-26節)と語っ

ているのです。

・神の秩序あるこの創造世界で、豊かな大地から実りを得て生活していたところが荒れ野に変わり、そこで営

々と築いてきた町々も、<主の御前に、主の激しい怒りによって打ち倒されたていた>というのです。南ユダ

のそういう未来の姿をエレミヤは、「わたしは見た」と言っているのです。豊かな大地と人々が営々と築いて

きた町々が廃墟と化してしまう姿を、エレミヤはイスラエルの民の現実を直視しながら、その民の住む地とそ

の民の将来をこのような、創造以前の混沌として描いたのです。「そしてその一切は神の前に、その聖なる怒

りの故にである」(関根)と、エレミヤは言っているのです。関根正雄さんは、エレミヤの見た「このような

世界観を神話的であって、近代的自然科学的な世界観とは相容れず、支持し得ぬとみる人もある(ブルトマン)

」が、「歴史の現実をみるとこのようなエレミヤの預言が全く過去のものだといい切れない問題を含んでいる」

と言っています。そして「人類は自然の法則を探求して素晴らしい科学文明を築いたが、その文明そのものが

人間の罪の故に世界を再び混沌に帰す危機を生み出しているのである」と言って、「エレミヤが人の罪と神の

怒りの観点から世界の根源的な姿をみたことは矢張り正しい」と言っています(関根旧版『註解』56頁)。

・20世紀は二つの世界大戦があり、さらには朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、戦争の世紀だと言われま

した。またヒロシマナガサキの原爆投下とチェルノブイリ原子力発電事故が起こり、20世紀は科学技術の

最先端である核による自然と人間の破壊が起こりました。その反省に立って、21世紀は平和な世紀にしなけれ

ばならないと、21世紀を踏み出した人類は心に誓って歩みだしたはずなのですが、ソ連邦の崩壊という中で強

大化した世界帝国アメリカの驕りが湾岸戦争アフガニスタンイラク攻撃という戦争を強行し、中国とロシ

アの強大化に伴い、ユーラシアと先進国であるヨーロッパ諸国とアメリカ、日本の影響力が強い地域との境界

にある国々で内戦状態が頻発しており、21世紀も世界の各地で戦争が続いています。それに加えて、温暖化に

よる自然災害が増え、世界はますます混沌としています。その中で日本も東日本大震災と福島東電第一原発

故が起こり、安倍政権の暴走も加わって大変危機的な状況を露呈しています。その意味でエレミヤの混沌の預

言は、今日の世界にも当てはまると言っても過言ではないでしょう。

・27節の「しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない」は、28節の後半の「わたしは定めたことを告げ/決して

後悔せず、決してこれを変えない」からしますと、矛盾しています。この27節の「ない」は後の加筆だと考え

られています。本文を訂正して直訳すれば、「そして、わたしは完全な滅びを行う」と読むことができます

(木田)。5章の10節と18節に、「滅ぼし尽くしはしない」とありますので、この27の箇所もそれに合わせて、

後から「ない」が付加されたのでしょう。27節、28節は神の怒り、神の審判の必然を語っているのです。<ま

ことに、主は言われる。/「大地はすべて荒れ果てる。/そして、わたしは完全な滅びを行う。/それゆえ、

地は喪に服し/、上なる天は嘆く。/わたしは定めたことを告げ/決して後悔せず、決してこれを変えない。

>(27,28節)。と。

・エレミヤは混沌に帰るという幻と共に、エルサレムの町が敵の軍隊のよって滅ぼされ、住む者が誰一人いな

くなると語っています。<騎兵と射手の叫びに、都を挙げて逃げ去り/茂みに隠れ、岩に登る/都は全く見捨

てられ/だれひとりとどまる者はない>(29節)と。さらにエルサレムが愛人に媚を売る遊女の姿に描かれて

いますが、愛人である大国はエルサレムの命を奪うと言われています。<辱められた女よ、何をしているのか。

/緋の衣をまとい、金の飾りを着け/目の縁を黒く塗り、美しく装ってもむなしい。/愛人らはお前を退け、

お前の命を奪おうとする>(30節)。「エルサレムは長い間アッシリアバビロニアに媚を売って生きのびて

きた。然し最後の時にはバビロニアエルサレムを遊女として用いる為でなく、これを滅ぼす為、殺す為にや

ってくる。エレミヤはその時が必ず来るというのである。31節はそのような時エルサレムには唯絶望だけが残

されるであろうという。エレミヤの預言はここにおいて全き暗黒の中に終わっている。然しそこに真の預言者

の姿があるであろう。真の救いは人間の罪に対する神の審きからのみ来るからである」(関根)。

・このエレミヤの預言は、現在の私たちが置かれています日本の状況、世界の状況を考えますと、決して荒唐

無稽な幻想とは言えないのではないでしょうか。エレミヤは神に選ばれた神の約束の民イスラエルの生き様を

問題として、預言者の活動をしました。この預言の言葉は、信仰の民としてのイスラエルに向けられています。

そうだとすると、このエレミヤの預言は現在において聞く場合、新約聖書において「新しいイスラエル」とも

呼ばれている「教会の群れ」、即ち私たち教会に集う者たちに語られているのではないでしょうか。けれども、

今日の箇所の預言に語られているエルサレム厚顔無恥な振舞は、教会の群れというよりは、現代の日本では

安倍政権とそれを支えている人たちの振舞に類比させてみることができるかもしれません。教会の群れである

私たちが強大国に媚びるエルサレムの振舞をしているとは言えないかもしれません。しかし、安倍政権とそれ

を支持する人たちの造り出すこの国のあり様を許してしまっている私たちは共犯者であるということを知らな

ければなりません。そして、アメリカに媚びて一緒に戦争のできる国造りをしようとている安倍政権がめざす

未来は、「大地は混沌とし」と言われているエレミヤの予見と同じようになるだろうことを深く認識し、エレ

ミヤと共に声をあげ、行動を起し、神が私たちに与えて下さっている道に立ち帰って、他者と共に生きること

をめざしたいと願います。