船越通信癸横毅后 。横娃隠暁5月1日
・24日(日)は礼拝後しばらくお茶を飲み、懇談し、以前から約束していましたOさんのお宅に伺い、Oさ
んがエチオピアの香辛料を使ったスープとサラダを準備していてくださり、買っていったフランスパンとで
お昼を一緒にいただきました。メゾネットの10階のマンションからの仰望もすばらしく、食材から高齢者
施設まで話題はあちらこちらと、気の向くままに広がっていきましたが、Oさんを入れて7人での交わりの時
はあっという間に3時間を経過し、午後4時過ぎに散会しました。それにしてもOさんは、もうすぐ90歳と
いうことですが、一年ぐらい前に股関節の手術を受け、歩行が大分厳しかったのですが、杖を突きながら紅
葉坂教会の礼拝にも船越教会の礼拝にも出席できるまで回復しました。Oさんの意志の強さを感じます。また、
御自分の不自由さを抱えながらも、友人の入居している病院やホームを訪問されることもあります。お友達
も多く、その前向きな生き方には感心させられてしまいます。これからも一日一生を大切にされますよう、
主の導きをお祈りいたします。
・Oさん宅を出て、Tさん、Hさん、連れ合いと私の4人は、この日午後6時から紅葉坂教会で行われた第69
回かながわ明日の教団を考える会に参加しました。今回も神奈川教区の諸教会・伝道所の信徒・教職の有志
22名が参加し、教区・教団の情報交換、福島の家族の保養プログラム(4月29日から5月2日まで第5
回リフレッシュ@かながわ開催)を中心に東日本大震災支援活動のこと、今度の熊本地震被災者支援のこと
などの情報交換と支援の協力について、私の処分撤回とひらかれた合同教会をつくる会の報告、そして6月
教区総会に向けての準備などの意見交換と確認をしました。
・26日火曜日は農村伝道神学校に行きました。この日の説教演習では二人の学生にマタイによる福音書
18章15―20節に基づいて実際に説教をしてもらいました。今年は受講者が9人いますし、受講者の中
から実際の説教は礼拝堂でしたらとの提案もありましたので、礼拝堂で二人に説教してもらい、その後教室
に移動して講評の時を持ちました。このマタイの聖書箇所は4つの独立した言葉が集まっているところで、
弟子たちに対する教えという点では共通していますが、それぞれの言葉の内容は独立していて、4つの言葉
には直接的な内容的連関はない箇所です。どのようにこの箇所を説教するのか、私自身も関心を持って二人
の説教を聞きました。二人の説教は、一人の方には唐突とも思える話の展開が気になりましたが、二人共よ
く頑張ったという印象を持ちました。講評では、最初説教した二人の学生から、このテキストをどう読んだ
か、そこで聞いたメッセージの骨格について話してもらい、その後他の学生からの感想・意見を聞き、それ
に対する説教した二人からの応答という形で話し合いました。この日は具体的な説教演習としては最初にな
りますが、二人の学生が自分なりに精一杯説教をつくってきてくれたので、それなりに演習になりましたが、
この形が続くようにと願っています。
・29日(金・祝)は、この日からはじまる福島の家族の保養プログラム、第5回リフレッシュ@かながわ
のために、朝9時には鶴巻を出て、交流会の会場である紅葉坂教会に向かいました。紅葉坂教会には10時
半過ぎに着きました。既に5~6名の食事作りのボランティアの方々が来ていました。また、今紅葉坂教会
は無牧ですので、一人の役員の方が鍵を開けにきてくれていました。階下台所には、前日紅葉坂教会の信徒
の方が手配してくれた野菜類が既にありましたので、ボランティアの方々によってカレーとポテトサラダ用
のジャガイモやニンニクの下ごしらえにとりかかりました。しばらくして、買い物をしてきた2台の自動車
が到着し、他の食材も階下台所とホールの机に運ばれて、本格的な準備に入りました。私は、ボランティア
が少なそうなので食事作りに入ってということで来ましたが、カレー作りのレシピを近くのコンビニに行っ
て4枚コピーしただけで、人手が充分そうなので、午後2時からの保養家族の宿泊先ホテルでの受付を担当
することになっていましたので、それまでの間2時間ほど自分の用事のために時間を使い、午後1時半過ぎ
にホテルロビーに行きました。既にテーブルが並べられて、受付の準備ができていました。午後2時から午
後4時半ごろまで、次々に到着する10組近い家族の受付をして、保養家族の方にはチェックインしてもら
い、4時半ごろから送迎ボランティア2台の自動車と歩きで、交流会の行われる紅葉坂教会に向かいました。
その確認をした後、私たちも送迎の自動車に乗せてもらい紅葉坂教会に向かいました。オリエンテーション
の後、保養家族の方々ボランティアがカレーとポテトサラダと杏仁豆腐のデザートをそれぞれいただき、そ
の後交流会は、子どもたちのプログラムは礼拝堂で、大人たち階下ホールで、毎年行われているように行わ
れました。私は今年も大人の交流会に参加しました。四つのテーブルに保養家族の方とボランティア数名が
分かれて、話し合いの時を持っています。私のテーブルにはいわき市と郡山から来た四家族の6名がいまし
た。私を含めてボランティアからは3名がこのテーブルに加わりました。今回の話し合いで、東電福島第一
原発事故から5年が経ち、未だに線量の高い場所がありながら、例えば友達が遊ぼうと来たとき、自分の子
供を外に出さないわけにはいかないということで、被曝を気にしていては生活していられないので、段々と
現実を受け入れるようになってきているという主旨の発言がありました。その中の一人の母親から、私は
「北村さん、こうすればいいということがありますか」と問われました。決定打がない中で、見えない放
射能との向かい合いの生活のしんどさが、その方の問いかけからひしひしと伝わってきました。私は、「私
にはそれは分かりませんが、私たちに出来ることはこの保養のプログラムを長く続けるという形で、関わり
続けるということではないかと、私自身は考えています。『こうすればいい』という決定的なことは分かり
ませんが、あきらめたら現状に流されてしまいますので、あきらめないこと、それと国や東京電力の責任を
問い続けることでしょうか。」という主旨のことを話しました。重い課題です。