なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(392)

    船越通信、癸械坑押   。横娃隠固12月16日   北村慈郎


・いよいよ今日は待降節第3主日で、次の日曜日はクリスマス礼拝です。先日Iさんに出していただいた

クリスマス・カードに、S先生から私宛にお礼のお手紙をいただきましたので、全文下記に転記します。


・【主の平安をお祈りいたします。/クリスマスが近づきましたが、千賀様の御容態が気になって、単純

にクリスマスを祝う思いになれません。12月6日には桜本教会の藤原繁子牧師が召されました。今年の

クリスマスは馬槽の幼な子の誕生よりも、十字架に苦しみたもうイエスを思うべきクリスマスであると思

います。/新しい年も、先生の免職問題の解決はやってこないでしょう。それを覚悟の上で、しつっこ

く、うむことなく、闘い続ける年にしたいと思います。船越教会の皆様からの連名のクリスマス・カード

をありがとうございました。皆様によろしくお伝え下さいませ。/くれぐれもお体大切に。/2018年

12月11日 】


・9日(日)の日曜日は礼拝後、お茶の会を持たずに、しばらくして散会しました。ただTさんとNさんと

が、週報ボックスにたまった週報を送る作業をしてくださいました。私は次週の準備をして、午後1時過

ぎに船越教会から鶴巻に向かいました。


・10日(月)は、船越教会のイースター礼拝、クリスマス礼拝に出席してくださっています、私の紅葉

坂教会時代の関係者でありますご夫妻が鶴巻に連れ合いを見舞いに来てくれました。昼食を共にし、親し

く歓談して、午後2時過ぎに帰って行かれました。11日(火)は、連れ合いの主治医である教授の診察

があり、午後2時に東海大学病院に行き、少し待ち時間がありましたが、比較的早く診察を受けました。

今回は抗がん剤が効いているようで、血液検査の数値が大分低くなっていて、年末に予約しています「CT

検査が楽しみですね」の主治医の一言で診察が終わりました。そう言われますと、何となく元気がでま

す。希望が持っている力のようなものを感じました。この日は主治医の診察だけでしたので、比較的早め

に病院から帰ることが出来ました。


・12日(水)も名古屋から、私たちの2番目の子を通して、連れ合いが長い間お付き合いをしている方

が見舞いに来てくれました。やはりお昼を共にして、歓談し午後2時ごろ帰って行かれました。私はその

方とお昼を共にした後、この日の午後は町田の病院の緩和ケア病棟に入院しています知り合いを見舞いま

した。肺癌の末期で、私が伺ったときには、既に意識は混濁しているようで、酸素マスクを通して荒い息

遣いをしていました。この方の二人の御子息夫妻も見えていましたが、4人が医師の話を聞きに行ってい

る間、病室には私とベットに横たわって、苦しそうに息をしている知り合いの二人になりました。私は87

歳の知り合いの腕をさすりながら、クリスマスの讃美歌を何曲かハミングで歌いました。その間に、「も

うすぐクリスマスですよ」、「あなたは歌がお上手でしたね」。「お元気なころは教会の聖歌隊でも歌っ

ていましたね」。「独唱したこともありましたね」と声を掛けました。すると、言葉での応答はありませ

んでしたが、息を深く吸い込んで、わたしの言葉かけが聞こえているように感じられました。しばらくそ

うしていましたら、4人が病室に帰って来ましたので、何かあったらご連絡くださいと申し上げて、失礼

しました。それから二日後の14日(金)の朝9時前に家族の方から、その日の早朝に私の知り合いが召

されたという連絡がありました。この知り合いとは生前に私が葬儀式をする約束をしていましたので、東

林間にある自宅を訪ね、葬儀の打ち合わせをしてきました。私の知り合いは献体をしていましたので、72

時間以内に遺体を大学病院に引き取ってもらわなければなりません。ご家族だけで見送りたいということ

でしたので、私が司式をして、15日(土)夜に自宅で葬送式をいたしました。


・13日(木)は連れ合いが病院に行く日で、この日は一日がかりの予定でした。一般外来の診察が、い

つもは2時間近く待たされるからです。この日一般外来の診察は午前9時の予約でしたので、8時前には鶴

巻の自宅マンションを出て、病院には8時半過ぎには着きました。診察の前に尿と血液の検査があります

ので、そちらに先に行き、一般外来の受付を済ませました。ところが、この日は血液検査に時間がかか

り、検査が終わったのが9時半を過ぎていました。血液検査が終わって、一般外来の待合室に入りました

ら、いつも診てもらう先生の診察室の扉に掲げられている診察中の掲示に、その日の連れ合いの受付番号

が出ていました。が、間に合わず、次の人の番号に代わって、その番号の人が診察室に入ってしまいまし

た。その人の診察が終わって、次の診察者の掲示にあった連れ合いの受付番号を飛び越えて、現在診察中

掲示には連れ合いの次の人の番号が掲げられましたので、連れ合いが診察室の扉を叩いて、医師にその

旨を告げましたら、その次の診察ということになりました。そのために少し時間をロスし、その後抗がん

剤を注入するが化学療法室で約2時間、更にそれが終わってから、腎内科で糖尿病の診察を受けました。

この日の予定がすべて終了したのが、午後2時半過ぎになりました。さらに院内薬局で薬が出るまでに20

分強の時間を待たなければなりませんでしたので、病院を出たのは午後3時過ぎになり、この日は24時間

抗がん剤の点滴を受けていますので、病院からタクシーで鶴巻の自宅マンションまで帰って来ました。

ただこの日は娘が午後鶴巻に来てくれて、夕食を用意してくれましたので、助かりました。


・14日(金)は午後6時半から紅葉坂教会で支援会の世話人・事務局会がありました。私の免職問題の

リーフレットが好評のようで、いろいろな反応が寄せられているようです。教団総会の時までに5,000部

作りましたが、更に8,000部追加して作りました。世話人や事務局の人を中心に、いろんな集会で配布し

たり、つてを頼んで配布してもらったりして、徐々に広がっているようです。この日の世話人・事務局会

では通信22号の内容の確認と来年4月に予定しています総会の準備をしました。その他に沖縄の状況、10

月の教団総会以後の教団の状況など、知り得ている情報を交換しました。特に教団については、財政問題

との絡みで機構改革の必然性にどう取り組むかによっては、組織護持の方に批判的な人たちも取り込まれ

はしないかという意見がありました。