なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(627)

船越通信、№627  2024年7月28日(日)北村慈郎

  • 20日(土)13:30-15:30、寿のLプラザ(かながわ労働プラザ)で、寿地区センターの集会「過渡期の寿、それぞれの現状と課題の共有~つながりを持てなくなってきた寿~」というテーマでのシンポジウムがありました。この集会は寿地区センターのボランティア交流会の集会という形で行われましたが、会場の収容人数が最大30名ということもあり、ボランティアの参加は限られていたように思います。パネラーは寿地区で活動している方々6名で、司会・ファシリテーターは長年寿に関わっておられる東京都立大学准教授の山本薫子さんにお願いしました。主事の汀さんの説明では、パネラーには前以て、①今現在の関わっている活動、②現在どのように考えているか、③将来について懸念も含めてどのように考えているか、というアンケートを出して、それに答える形で発題をお願したようです。それぞれの方々の発題をお聞きして、私が感じたことは、かつて日雇い労働者の街であった寿地区は、一般社会の規範が通じない何でもあり的な「自由空間」で、歴史的にはアジールと言われた世俗の権力から独立した社会的な避難所としての特権を保証された場所として機能していたように思いますが、現在の寿地区は一般の社会に近づいているように思われました。一つは、寿が福祉の街と言われている現在を現わしていると思いますが、400メートル四方という狭い寿地区に介護関係の事業所が沢山あります。そのことは寿地区には単身者で体の不自由な方が多いことを意味します。3-4年前をピークに寿地区の人口は6,400-6,500人から現在は5,400人になっていて、ほぼ100%が生活保護受給者で、寿地区住民に一か月生活保護費が7-8億円入るそうです。寿地区にあるコンビニは日本で一番売上高が多かったこともあったようです。介護関係の事業所が多いことや他の地域と同じ商売するお店が寿に出来るようになれば、将来寿地区は、高齢化や心身に病をかかえた人が多いという点では、将来の日本社会を先取りしていますが、かつての寿地区が持っていたアジール的な面はなくなっていくかも知れません。様々な問題を抱えて、行き場を失った方々が、寿に行けば何とか生きていけるという面が寿地区で失われていくとすれば、人生に躓いた人、躓かざるを得なかった人は日本社会のどこに行けばいいのでしょうか。北九州で奥田知志さんがやっている野宿者支援とNPO法人抱樸 のような働きが寄せ場でも必要になってくるということでしょうか。今回のシンポジウムに出席して、私自身は、寿地区の変化を踏まえながら、寿地区センターの働きをどう進めていくのかが問われているように思いました。シンポジウムは午後4時に終了し、その後追浜に出て、バスで船越教会に行きました。この日は説教の準備が早めにできていましたので、教区のオリエンテーションの発送物の印刷をして、夜早めに寝ました。
  • 21日(日)は礼拝後、最近北欧を旅したHさんがみなさんにチョコレートのお土産を用意して下さったので、残れる方7人でお茶を飲みながら、しばらく懇談をしました。12時半過ぎには皆さん散会しましたが、私はこの日午後4時から蒔田教会で本年度第1回オリエンテーションがありましたので、少し休み、午後2時39分のバスで追浜に出て、蒔田教会に行きました。この日のテーマは「教区形成基本方針について」で、発題は教区議長の古谷正仁牧師がしてくださいました。神奈川教区の形成基本方針は、1970年前後に起きた教団問題と密接不可分な形でできました。その前文にはこのように記されています。「1969年以来、万博キリスト教館出展問題、東京神学大学への機動隊導入問題等を契機にして教団成立以来十分に自覚・検討されてこなかった諸問題が一気に噴出する状況となった。すなわち、教区においても諸教会やキリスト者の間に、福音理解や教会観、信仰告白に対する態度や宣教理解、さらには『教区とは何か』等、重要な問題についての理解に大きな相違があり、それらが具体的な諸問題との関わりで表面化して、多様な立場や主張が対立し合うことになった。そのため、従来の『教区基本方針』では教区総会すら開催できないという状況に立ち至った。/そこで教区諸機関における『1970年度基本方針』案および修正案をめぐって精力的な議論を経て、1971年に第20回教区総会が開催され、教区内における相違や対立がある現実を率直に認めると共に、それらの相違や対立を抱えつつも尚、一つの教会であることを求め、真に『一つの教会』を『形成』することを目指すことを形成途上の教会であることを確認した。このようにして採択されたのが、今日の教区形成基本方針の原型である」と。この教区形成基本方針本文の中心は、「我々は対立点を棚上げにしたり、性急に一つの理念・理解・方法論に統一して他を切り捨てないように努力する。忍耐と関心をもってそれぞれの主張を聞き、謙虚に対話し、自分の立場を相対化できるように神の助けを求めることによって、合意と一致とを目指すことができると信じる」という点にあると思われます。古谷牧師の発題後、先ず質疑応答の時間を持ちました。フロアーから教団の二種教職制の問題が提起されました。現在九州教区からは教団総会議案として二種教職制の解消が提起されています。神奈川教区常置委員会も九州教区の議案を取り寄せて、二種教職制の問題を話し合っています。本来教職になるためには訓練期間を置いて、一回の試験で教職になり、教職になれば、現在の教団のように聖礼典が出来ない補教師と聖礼典ができる正教師という区分はなく、教職であれば誰でも説教と聖礼典ができるようというのが、教会の教職制ではないかと思います。教団に二種教職制があるのは、戦時下に国家の圧力でよってできたものですから、戦時下に国家の圧力に屈した教団は、その過ちを認め、二度と国家の圧力に屈しないという告白をもって、二種教職制の解消をするのが筋だと、私は思っています。ただ現在ではその先になる、教職と信徒の階層的な区別も教会の課題ではないでしょうか。質疑応答後、参加者一人一人に感想を言ってもらい、オリエンテーションを終えました。
  • この週は、25日(木)に国会前の座り込みと、引き続きその日の午後6時半からなか伝道所で行なわれた寿地区活動委員会に参加しました。この日以外は鶴巻に引き籠っていました。