なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(212)

            船越通信癸横隠押 。横娃隠鞠5月24日    

・16日(土)に横浜南共済病院にOさんを見舞いました。回復をお祈りいたします。

・17日の日曜日は礼拝後の懇談に続いて役員会がありました。5月は3日(日)が福島の家族の保養プロ

グラム、リフレッシュ@かながわの交流会が紅葉坂教会であり、第一日曜日でしたしが、役員会を行いませ

んでした。10日は私が荻窪教会の礼拝説教を頼まれ、船越教会は関田先生にお願いしましたので、201

5年度の教会総会後の最初の役員会ということもあり、私が出席できる17日(日)に行うことにしました。

2015年度の役員会の役割は、書記がMさん、会計がTさんにお願いしました。東湘南地区委員はHさんとT

さん、神奈川教区総会議員はTさんにお願いしました。2015年度の一年間どうぞよろしくお願いいたしま

す。

・4月の総会でもNさんから辺野古基金へしたらどうかという意見があり、役員会で検討することになってい

ましたが、辺野古基金へ平和センターの残金から5万円支出することにしました。その他に紅葉坂教会(崖の

修理)と上大岡教会(会堂建築)から献金依頼がありましたので、紅葉坂教会に3万円、上大岡教会に2万円

献金することにしました。

・17日の日曜日は午後4時30分から神奈川教区事務所で、今年度第1回のオリエンテーションがありまし

た。教区のオリエンテーションは特に1967年の戦争責任告白以降、万博・東神大問題、教師検定・教職

(信徒)問題、合同のとらえなおし、聖餐問題など、評価は異なってもこれらの歴史的な出来事がどのような

出来事であったのかについての共通認識をもつために、特に神奈川教区に新しく来られた新任教師を中心に、

按手准允志願者、教師試験受験者などの参加を呼び掛けて行われています。上記のテーマの他に、オリエンテ

ーションには現場研修として日雇い労働者・野宿者支援を課題として神奈川教区によって設立されている寿地

区センター、在日コリアンとの関係で川崎戸手教会、それに基地問題(横須賀か厚木・座間)の三つがありま

す。現場研修は毎年一か所、3年で三つの現場に触れられるようにしています。但し毎年第一回は神奈川教区

形成基本方針についての話し合いと、それに教区の制度や組織についての紹介があります。今年は講師の教区

議長とオリエンテーション委員を入れて、合計17名の出席者がありました。教区形成基本方針の本文はそん

なに長くありませんので下記にしるしておきます。

・【本文:我々は、1941年の日本基督教団の成立、1954年の「教団信仰告白」、1967年の「第二

次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、1969年の日本基督教団と沖縄キリスト教

との合同等、今日改めて問い直すべき内容を含む課題を負う教団の現実を踏まえ、理解や方法論の対立を伴う

その他の諸問題についても、意見を誠実につき合せ、対話を重ね、聖霊の導きを求めつつ、なお一つの地域的

共同体としての教区形成を目指すことを基本方針とする。/我々は既に、この状況の中で時と地域と課題とを

共有している。さまざまな理解の相違や対立は存在する。しかし我々は共に集まり、共に祈り、共に語り合い

、共に行動することが許されている。我々は対立点を棚上げにしたり、性急に一つの理念・理解・方法論に統

一して他を切り捨てないよう努力する。忍耐と関心をもってそれぞれの主張を聞き、謙虚に対話し、自分の立

場を相対化できるよう神の助けを求めることによって、合意と一致とを目指すことができると信じる。/我々

は、合同教会としての形成、教会会議、今日の宣教、教会と国家、教会と社会との関わり、差別問題、さらに

教区運営・教区財政、地区活動、諸教会の宣教の支援等、教区として取り組むべき諸課題を担い、当面合意し

て推進し得る必要事項を着実に実施できるようにと願うものである。】

・これはお互いの違いを認めた上で、その違いを絶対化することなく、対話による一致をめざしていくという

ことです。極めて当たり前の姿勢だと思います。ところが実際にはお互いの違いを認めることはなかなか難し

いのです。違った他者を認めることは、ある面で自己相対化しなければなりません。違った考えの者が対話に

よる一致をめざす時には、自分も変わり相手も変わるという可能性を踏まえなければならないからです。そう

でなければ、対話による一致はめざせません。ところが、相手は変わることがあっても、自分も変わるという

ことを私たちはなかなか認められないのです。

・23日(土)に寿地区センターの講演会が紅葉坂教会でありました。講師は野本三吉(加藤彰彦)さんでし

た。野本三吉さんは、私が1974年からの3年間紅葉坂教会の伝道師だったころ、横浜市民生局職員として

寿にいました。その頃寿にあるバプテストの横浜教会に益牧師がいて、その横浜教会で野本さんもいましたが

集会があって、その集会に私も参加したことがありました。私は77年4月に名古屋の御器所に転任しました。

その御器所教会で「発見・出会い・変容・共生」というテーマで聖書と現場からということで講演会を5,

6年行ったことがありました。その時野本さんを講師に呼んだことがあります。最初寿の識字学級のことで

お願いしましたが、その時は野本さんから大沢敏郎さんを紹介してもらい大沢さんを呼びました。しかし、

その後どうしても野本さんを呼びたいと思って、お願いして名古屋に来てもらいました。その頃の野本さんは

横浜市立南部児童相談所に勤めていて、講演ではシンナーを吸う少年たちの話をしてくれました。今でも覚え

ているのは、シンナーを吸い過ぎると脳が腐って出てくるという話をされたのです。衝撃的な話で、聞いてい

た私たちはびっくりしたのを思い出します。今回野本さんの講演で沖縄の島の人たちは助け合わなければ生き

ていけ状況にあるとい話がありました。私はその話を聞きながら、助け合わなければ生きていけない状況は、

本当は私たちの中にもあるのではないかと思いました。島という逃げ場のない場を共有している人間同士は、

そこで一緒に生きて行かなければ、生きていけないのでしょう。そういうものは私たちの中にもあるのではな

いでしょうか。教区形成基本方針の言っていることも、同じことなのではないかと思いました。