なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

多忙という恵み

以前「忙」は「心が亡ぶ」ことでもあると、このブログで書いた。今でもそう思う。ただ忙しく仕事をしなければならないことが、時間があれば考え込んで落ち込んでしまうだろう自分を救っているということもある。不思議なものである。

心を病んでいる人について、体を動かすことの大切さが指摘されることがある。以前に薬のせいだと思われるが、私と話していても大変緊張し、手や体が震えている状態の青年がいた。その青年が森田療法の病院と言っていたが、数ヶ月合宿のような形でその病院に入院した。彼からの話では、まず朝起きてから夜寝るまでの生活慣習を規則的に過ごし、体を動かし、小グループのコミュニケーションの時間を持つ。その小グループは、アルコール依存症の方々が行っている自助グループのミーティングのように思われた(お互いの話を聞き、それに対する意見は言わない)。たまにはそのグループの司会のような役割もすると言っていた。

彼は数ヶ月の入院生活で見違えるように元気になった。心と体のバランスが失われて、調子が悪かったのを、入院と言う非日常的な時間と場所で、体のバランスを整えていくことによって、心の安定を取り戻していったのだろう。

心身の関係は大変微妙である。時間があれば、心が悩みで閉じていくところを、仕事に追われて悩む暇も無いという時間を過ごしているうちに、悩みそのものがどこかに飛んでいってしまうということも、実際にあるだろう。

ただすべての悩みにこれが有効であるとは思えない。特に体に疲労が蓄積している場合には、むしろゆっくり休むことが必要だからである。何でもそうだが、出来事はある条件の下で起こるのであって、すべてに当てはまるということは少ないものだ。

ここ数日仕事に追われて、ブログ日記を書く余裕も無かった。けれども、今の自分にはそれがよかったのであろう。意外な形で自分を導いている存在を感じている。